同人誌「遊牧」(塩野谷仁代表、清水怜編集人)の伍賀さんが該著を出された。本阿弥書店のアンソロジーである(2021年6月30日発行)。100句中、前の部分の16句は、結社「街」(今井聖主宰)時代のもの。全体から、小生の好きな10句ほどを選び、鑑賞させていただく。
089 雪の飛騨出て来てずっと赤で通す
雪景色の世界から出て来た作者はずっと赤い服を着たままでいる、という句意だと思った。「雪の飛騨」は小生には高山辺りを思う。「赤い服」はオーバーコートか、あるいはマフラーでも冬帽子でも良い。いや、雪靴でも良いのだ。とにかく、意識的に赤に拘っている。何か、心理的にそうしたい気分であり、そうしたい事情があったのであろう。下六に作者の強い意思を感じる。雪の「白」と衣装の「赤」の対比も印象的である。(ところで、小生は赤い衣服を思ったのだが、人によっては、ワインの色だと主張する人がいても良い。ちょっと無理筋だが、その場合、「雪の飛騨」は生まれ故郷だとも考えられよう。飛騨産のワインが確かにある。それほど、俳句は多様に読める場合がある。)
090 二世帯住宅それぞれの鍋匂い出す
面白い気づきの句。こう書かれると、そうそう、こういう事ってなるなあ、と思わされる。場所が「二世帯住宅」であるだけに、老夫婦と息子夫婦のわだかまり、接触の少なさなど、いろいろな事情・背景を思わせる。その点で、「二世帯住宅」は上手い。現代の庶民の社会の縮図のようでもある。
090 世界地図のような牛の斑あたたかし
090 白馬の少女藤棚より高し
白黒の牛の斑模様が世界地図のようだという、平明な見立ての句。下五の「あたたかし」が効いている。二句目も平明な句。やはり下五の「高し」できちんと言い切った。作者のきりっとした性格……何につけ、きちんと結論を出して置くという性格……が出ているように思う。
091 トマト売る母へランドセル置いてゆく
子供のころの思い出。父や母の思い出を俳句にする場合、ともすると画一的に書いてしまうのだが、これはリアルで、かつ、ユニーク。100句の中には、〈父母遠し厨に吊るす唐辛子〉〈柳散り母のミシンへ逢いに行く〉〈天金の父の聖書へ梅一枝〉〈ラムネ玉ぽんと抜く手の父遠し〉〈母の真珠一粒大き冬銀河〉〈除夜の鐘母の時計をして眠る〉など、父母を詠んだ句は多くあるが、091からは、嬉々として遊びに走っていく作者のおさな姿が、目に見えるのである。しかも露店であろうか、「トマト売る」という少ない言葉で、その時の母の仕事が見えてくる。小生イチオシの句。ここまでが「街」所属の頃の作品である。
092 赤バス青バス芒へ人を容れに来る
芒原が美しい観光地であろう。仙石原でもよい。上空から俯瞰しているような句。「人を容れに来る」が、感情を殺した表現で、この句の手柄。少し飛躍するが、林田紀音夫の〈黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ〉を思いだした。林田句は、ニヒルと言ってよいほど、情を殺した句であるが、伍賀句も、少しだが、そこに近いのでは?
093 春塵の象の背を掃く竹箒
どこかの動物園の実景なのだろうが、小生は、たしか根津美術館だったと思うが、象の背を箒で掃いている絵(日本画だったと思う)を見た記憶がある。面白い絵だと思った。不確かで申し訳ないが、何となくユーモラスだと思ったことだけは覚えている。背中を固めの竹箒で掃かれると、さぞむず痒く、象にとっては、それが快感なのかもしれない。なんと変わった場面の句であることか。「象の背を掃く竹箒」は、それに気づけば、いかにも俳句に詠みたくなる題材である。
094 留守中の犬を預かるクリスマス
知人がクリスマス休暇で旅行にでも行ったのであろう。犬は連れていけないので、「預かってくれ」と頼まれた。頼まれた作者は、どこにも行く予定がないので、断る理由もない。いまどき、ペットを犬猫病院などに預けると料金が結構高く、しかも、狭い檻に入れられるので可哀そうだ。外国にはペットと一緒に泊まれるホテルがあるが、日本では少ない。そんな社会背景まで見えてくるし、頼む側と頼まれる作者との人間関係も何となく見えてくる。親子かも知れないし、背景をいろいろ考えさせてくれる句は楽しい。
096 冬木みな鉛筆書きの絵のように
冬木は幹も枝もはっきり見えるので、鉛筆で書いた線画のようだ、とは言い得ている。当然白黒だけの絵。緑の葉が茂っている場合はこうはいかない。これも平明に過ぎるほどの句なのだが、こう書いて見せられると、作者の確かな目を感じる。
101 出産土偶見て来てまぶし稲の花
「出産土偶」をよく知らなかったが、ソウルの国立博物館にある相当古いものらしい。日本でも公開されたらしく、暗い画像で見たことがある。一方で、日本にも「出産文土器」というのがあって、名前の通り、母親のお腹から子供が産まれてくる瞬間を表現したと言われている「深鉢形土器」のことのようだ。口縁部に見られる顔を母親、中央の胴の顔を子供に見立てたとされ、縄文時代を生きた人々の安産への祈りが込められていると考えられているようだ。作者が上記のどちらを見たのかは分からないが、それを観て外へ出たら一面に稲の花が眩しかった。危険を伴ったであろう大昔の出産という営み、それは同時に希望に繋がるものなのだが、そのことと現代の明るい生産の景色「稲の花」との対比が見事である。
103 山の辺のすみれを摘めば飛鳥人
結社の仲間で奈良の「山の辺の道」を歩いたのであろう(自己紹介文からそう分かる)。小生も二回に分けて桜井から天理までを歩いたので、とても懐かしい。万葉の歌碑が沢山ある。柿本人麻呂や山部赤人ら飛鳥人の歌碑である。「すみれ」が出て来る万葉の歌が、山の辺の道にあったかどうかは知らない。山部赤人の歌に〈春の野にすみれ採みにと来しわれぞ 野をなつかしみ一夜寝にける〉があって、千葉県にこの歌碑があるのは確かだ。この歌のほか、「すみれ」は万葉集に全部で四歌あるようだ。万葉人の好きな花なのであろう。あのあたりの雰囲気が、この句から感じ取れる。
伍賀さんの作品は、華麗・流麗というよりも、どちらかというと、「虚」に遊ぶ句が無く、事実に即した、実直で手堅い作品が多い、との印象を受けた。
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