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『鈴木しづ子一〇〇句』武馬久仁裕・松永みよこ共著

更新日:10月23日




 鈴木しづ子に詳しい武馬さんと、地縁もあって彼女に傾倒した松永さんの共著である。なかなか読みごたえがある(黎明書房、2022年10月10日発行)。


 一〇〇句の解説の中から、小生の「読み」が深まった、あるいは、誤読を正された、あるいは再発見させて戴いた句々を挙げていこう。


012 とほけれど木蓮の径えらびけり

022 あはれあはれ秋がきてゐる蘆の青

030 あきのあめ衿の黒子をいはれけり

 しづ子が「女性性」を詠った、おそらく初めての句ではなかろうか。武馬さんはしづ子の「ひらかな表記」の効果を強調している。068もひらかな効果抜群である。

040 しぐるるや掌をかさねおく膝の上

 松永さんは、この「掌」は少年のものだと考えている。私はしづ子自身の手だと思っていた。静かに瞑想しているのだと・・・。

058 体内にきみが血流る正座に耐ふ

 これは私が誤読していた代表的な句である。「きみ」はしづ子の母のことだとは思っていなかった。恋人の子を宿したのかな、と思っていたのだった。何かの理由があって「正座」する場面だったのだろう・・・と。だが母の葬儀だったとは!

060 実石榴のかつと割れたる情痴かな

 「かつと割れたる」が上五につくのか、下五なのかが問題である。町の俳句の先生は、どちらにつくのかはっきりさせなさいという。私は両方にかかっても良い、という考えである。武馬さんも同じ意見で、一句一章で読むべきだという。賛成である。

064 すでに恋ふたつありたる雪崩かな

068 まぐあひのしづかなるあめ居とりまく

 柔らかなひらかな表記の効果。「居」だけを漢字にした効果。うまい。

074 情欲や乱雲とみにかたち変へ

078 花吹雪岐阜へ来て棲むからだかな

 しづ子は「からだ」「体」を多用する。「心」は別で、体だけを述べているのだ。114の「蟻の体」もその通り。物体だけで精神は別なのだ。134の「女体」もそうなのか?

080 娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ

 武馬さんによれば、この娼婦は第三者であるそうな。私は先入観からか、娼婦になろうとしているしづ子自身のことだと思っていた。これも誤読の例。

082 春愁の煙草に点す火やくれなゐ

 五七六の句だと思うが、下六の俳句にたまにはある。それとも五七二四だろうか。しかし「や」で切っての下四は珍しい。いろいろな文体を試みているようだ。それでヘタウマの魅力が湧いてくる。もちろんヘタウマは私の誉め言葉です。

096 月明の橋を越ゆれば町異る

098 コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ

 しづ子句の中で、最も有名な句のひとつ。「など」が上手い。脱帽である。

114 蟻の体にジユツと当てたる煙草の火

122 手袋の指に指輪を愛でにけり

 指輪を手袋の上から触って、慈しんでいるのだろう。自己耽美だと単純に私は受け取っていた。松永さんは、人に見せない指環に誇りや自信をもっていて、そこを詠んだと解釈している。そうかも知れない。

130 腋毛濃しさんさんと湧く雲間の陽

 「腋毛」が俳句になった。ちょっとした驚き! 夏の季節感がある。

134 まん月の夜のいのりぞ女体もて

 なぜ「満月」でなく「まん月」なのか。「ひらかな」好きだとはいえ、意図を知りたいものだ。

140 詩稿すべて裂きすてしより落着く

 武馬さんはこの句に誓子の文体を見ている。誓子によく似た文体の句の例を沢山挙げて、しづ子が誓子を学んだ形跡を列挙している。だが、この句に関するかぎり、無季である。誓子を遠くから敬愛していたはずのしづ子が無季を詠んだのだろうか。誓子は頑ななまでの有季派であったはず。しづ子にはほかにも無季句が沢山ある。058,068,074,086,などである。誓子や多佳子側の俳誌にしづ子の投句の痕が見つかれば、こころ強いのだが・・・。

146 野分の葉うばひし恋のつまらなく

 これより未発表投稿句となる。未発表句をていねいに整理して公表してくれたのは嬉しい。「つまらなし」とはよく言ったものだ。彼女の性格だろうか。娼婦性だとまでは言うまい。

156 雪を来し色魔の如き唇のうるみ

 「色魔」とは、凄い句だ。先入観を捨てても、こう書かせるのはやはり冷淡な娼婦性ではないか。

168 こんこんと救はれ難き雪ふれり

172 雛まつるおほかたは父わからぬ子

194 わが十指花栗の香にまみれけり

 松永さんが川端康成の「雪国」を挙げているのはよく分る。このとき、しづ子は駒子なのかもしれない。


 序文に武馬さんが書いている。この本は、しづ子の伝説を追って、その俳句を鑑賞し、紹介するものではない。先入観をすてて、書いてある通りに読んで欲しい、とある。とかく彼女については、その奔放な日常と不可解な行方とから、書かれた一句一句に、書かれていない背景を加えて読んでしまう癖が、正直言って、小生にもあった。それ故の誤読が、該著によって今回正されたのが、10句ほどに及んだ。有難いことであった。


 該著での、俳句史的に興味ある指摘は、しづ子への「山口誓子の影響」が強かったとの、武馬さんの推論である。しづ子が誓子に強く影響されていたことが「解説―鈴木しづ子の世界」に、例句とともに述べられている。直接なのか、師の松村巨湫を通してなのか、誓子側の文献的証拠があれば、価値ある発見となろう。それは、しづ子と巨湫の関係を、誓子と橋本多佳子のそれになぞらえるものでもあり、私には共感の度が深かった。多佳子が静養先の誓子を訪ねる場面を思い出し、そのときの白い足袋までを思い出すのである。しづ子は巨湫を慕っていたのだろうか。すくなくとも、私には、逆の場合が考えられる、と思っていた。


 少しは知っていたはず「鈴木しづ子」を今更ながら再認識させて戴いた。ありがとうご座いました。


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