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中原道夫句集『九竅』




 「銀化」主宰中原道夫さんの第十五句集である。昨年はたしか第十四句集『橋』(書肆アルス発行)が蛇笏賞候補となったのではなかったか。そして今回の『九竅』。旺盛な創作・表現意欲に、おおいに感じ入っている。

 表紙が凝っている。題名表示がないのだ! そのかわり、やや紫がかった燻し銀色の無地の表紙の中央に直径5ミリほどの円い穴が九つ開けられている。9ミリ間隔で縦横3x3の配列である。私の下手な写真技術ではよく映らなかったが、上端に「GINKA」と横文字がデボス加工されている。まこと粋なデザインである。背を見ると

    句集 九竅  KYU KYO    中原道夫

とある。「九竅」とはご承知の通り、哺乳類や人間が持つ九つの穴。眼二つ、耳孔二つ、鼻孔二つ、口一つ。それに後陰・前陰を加えて、九つの生命維持に不可欠な穴である。それは肉体の外と中を繋ぐものでもある。

 作品は六〇〇〇句程から六〇〇ほどに絞った、とあり、2022年正月以降のもの。2023年9月1日、(株)エデュプレス発行。


 小生の感銘句は次の通り。

002 ここのつの竅(あな)の明け暮れ年詰まる

003 辛うじて一夜飾りとならざりし

005 中継所前の白息だまりかな

008 李朝画の寅かしこみて年新た

008 ため息は肩が出どころ初みくじ

012 忽然と冬日の当たるデスマスク

013 どの家も昼を灯して屋根の雪

017 緋かぶらのなかの白さを立たせけり

018 手秤に購うて百合根の大きこと

020 夜興引のまたもやといふ犬の貌

022 くなぐなどあらねば寒し雪の夜

026 骨は白ならず雪さへさう思ふ

026 切れ味の舌につたはる河豚刺(てっさ)かな

035 身幅ほど新雪に道付け戻るなり

038 盆梅や不祝儀袋切らしたる

039 橋持ち上ぐるかに気嵐のあした

039 圊の燈落としてよりの雪明り

045 板前の指さくらいろ芹料る

046 結ひをもて屋根葺く日なり村総出

047 春炬燵からも新人らしく立つ

051 抜け参り約せし人に臥されゐて

051 火落とししのちの客なり独活に味噌

052 琴似から様似は遠し鳥雲に

055 優劣の開かぬうちのちゆうりつぷ

057 まろび出て雀隠れとわかるなり

057 草萌えに一両日といふ速さ

059 沈丁や傘畳みつつブラックを

059 残雪は枯山水におく島嶼

060 夕霞ものを焚かなくなりし世を

063 身軽に来(こ)山菜くらゐすがねいが

064 見るべきは石斑魚(うぐひ)の腹に走る朱

065 折からの桜隠しのなかに消ゆ

069 春の水濁れるときは凍らざる

074 甍にはつちふるといふ定めあり

077 万華鏡ここを出自の蝶ばかり

077 貝合あはざるものを蜃気楼

080 白鬚橋俎板橋も川おぼろ

083 風船は陶然と紐垂らしゆく

085 くきやかは恥づかしきもの朧の身

089 花筏寄れる旗亭のまだ開かず

093 骨軋む音は聞こえずかはひらこ

101 どの釘も外に出て曲がる終戦忌

103 貝柱厚く握らせ祭笛

106 点滴も滴る夏の季語かいなう

106 素麵流し難所難所に人の立つ

110 山城の真下鵜舟を仕立てたる

112 子燕に菓子の司も出てきたる

113 自転車はなぜ漕ぐといふ麦の秋

115 小鹿立つ固唾を皆がのむところ

115 年寄がのるものでないハンモック

134 二股は上手に掛けよ干大根 

142 晩秋を探しあぐねて嵯峨も奥

155 みぞそばの擦過の傷と言ひ通す

156 踊るなら輪が暗がりへ入りし所


 氏の第十四句集『橋』のときに書いたことだが、氏は、卓抜な機知を駆使し21世紀の風狂の俳諧師と呼ばれていることは周知の通りで、代表句に〈白魚のさかなたること略しけり〉〈飛込の途中たましひ遅れけり〉〈瀧壺に瀧活けてある眺めかな〉などがある。

 今回の『九竅』からも、好きな句を挙げてみたが、多すぎるほどであった。幾つかを鑑賞してみよう。


002 ここのつの竅(あな)の明け暮れ年詰まる

 冒頭にも書いたがこの句集名を『九竅』としたのはこの句からであろう。初句でもあるので、相当の思いが込められているに違いない。九竅は言うまでもなく我々の命に係わる役割を持っている。この穴のおかげで、また今年も元気に歳を過ごせるのである。 


013 どの家も昼を灯して屋根の雪

035 身幅ほど新雪に道付け戻るなり

039 橋持ち上ぐるかに気嵐のあした

039 圊の燈落としてよりの雪明り

065 折からの桜隠しのなかに消ゆ

 中原さんは雪深い新潟のお生れと聞く。そのせいか「雪」の句が多い。しかも生活経験者としての感受が詠まれている。「気嵐」「雪明り」「桜隠し」など、小生にとっても懐かしい季語である。それぞれの季語は、読者をして、はっきりとした景とその背景にある「情」を思い浮かばさせてくれる。


 当然ながら、句集『九竅』には、前句集に続く俳諧味豊かな作品が多い。いくつか挙げてみよう。


101 どの釘も外に出て曲がる終戦忌

106 点滴も滴る夏の季語かいなう

113 自転車はなぜ漕ぐといふ麦の秋

134 二股は上手に掛けよ干大根 

 最も中原的な作品は、個人的にはこのような句であろう、と思っている。違っていましたらお許しください。機知の効いたやや川柳的な句がある。中には宗匠俳句のような作品もある。断っておくが、決して批難している訳ではない。むしろ小生は、上質の川柳や宗匠的な俳句は、ひどい月次は別にして、一般に、本来の俳句の重要な要素だと思っている。正岡子規が旧派を攻撃したが、やり過ぎだったとさえ、私は思っている。だから、私が使う「川柳的」「宗匠俳句的」さらには「ただごと俳句的」という言葉は、その作品を、私なりに読みこなして、結果的に最高に褒め称えるに至る言葉なのである。


017 緋かぶらのなかの白さを立たせけり

069 春の水濁れるときは凍らざる

077 万華鏡ここを出自の蝶ばかり

110 山城の真下鵜舟を仕立てたる

142 晩秋を探しあぐねて嵯峨も奥

 中原俳句には、もちろん、伝統的といっても良いほど視覚を利かせた端正な句や、思索を深めたうえでの作品がある。たとえば、右に挙げた句群である。これらの確かな作品がこの句集の基盤をかたち造っている。


077 貝合あはざるものを蜃気楼

 最後に、小生にはやや難解であったが、分からないまでも何かを感じさせる句があった。それらの代表がこの句である。「貝合わせ」からの繋がりで「貝やぐら」か来たわけではないと思うのだ。昔の優美な「貝合わせ」を観たことがあるせいか、不思議な艶っぽさまでを感じた。美しいのだが、ぴったり合わない想いが蜃気楼にまで昇華した、といった気分である。

 艶っぽさと云えば、

156 踊るなら輪が暗がりへ入りし所

もあった。


 実に楽しい句集でした。多謝です。

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