中岡さんは波多野爽波主宰の「青」を経て、「藍生」(黒田杏子主宰)、「椰子」(友岡子郷代表)に入り、平成三十年、「いぶき」創刊。今井豊氏と共同代表となる。俳人協会新人賞、山本健吉文学賞、俳人協会評論賞などを受けられた。論・作双方に定評ある俳人である。
今回の『伴侶』は、2023年8月7日、朔出版発行の第五句集である。
帯には水原紫苑氏が『晩婚といふ寧けさよ虫時雨』を掲げ、「伴侶という題名に相応しい、他者の全き受容の美しさを想う。この宇宙に、亡き母に、そして共に生きる妻に、衒いなく心を開いてゆく姿勢は、優しく静かな緊張感に満ちている。まさに今世紀の詩歌である」と寿いでいる。
自選句は次の十句。
崩れかかりし芍薬に蝶の影
水葬のごとく芒にしづみゆき
ゆふべまで臥してゆふべの鳰のこゑ
抱へきれぬほどの冬薔薇贈りたし
うつしみのこの世の花を見尽くさず
水引草いまはの際にこゑのなし
てのひらにすくへば落葉あたたかし
ゆふぞらにまた綿虫を見失ふ
すきとほるやうなにほひの雪兎
吾の眼に映れる汝やねこじやらし
小生の好きな句は次の通り、多きに達した。
009 風車夭折の歳はや過ぎし
010 すみずみまで妻のぬくもり春の月
011 鵯のこゑのつらぬく朝寝かな
015 相譲らざる芍薬の二輪かな
018 さくらんぼ褒めてもらひしことは稀
019 子燕のまだひらかざるまなこかな
025 水葬のごとく芒にしづみゆき(*)
027 生涯を秋の草摘むこのひとと
029 実南天まぶしく職に棄てられし
039 山茱萸の眩しさ妻に逢ひにゆく
040 紫木蓮自死をおもひし頃のこと
044 花水木ひかりのなかに癒えてゆき
049 指で挟みし草笛のやはらかく
051 水澄んでもつともゆりの木が高し
055 ねこじやらし溢れむばかり妻癒ゆる
061 抱へきれぬほどの冬薔薇贈りたし(*)
067 指先を濡らさず雛流しけり
074 月見草母を詠まねば何詠まむ
084 とまりたる草の揺れざる糸蜻蛉
112 一本のすすきを活くる真顔かな
116 枇杷の花亡きひとの恩そのままに
118 残生のなほもまぶしき龍の玉
136 書き出しに手間取つてをる落花かな
140 夕星のしばらくひとつ余り苗
150 朝顔の紺にふれつつ生きたしや
この句集、あくまでも物静かな、身の回りの事象の、あるいは作者自身の境遇から生まれた、優しい心の句集である。
中から、個人的な思い出も加えながら、幾つか鑑賞しよう。
009 風車夭折の歳はや過ぎし
040 紫木蓮自死をおもひし頃のこと
病がちな半生であったようだ。常に「死」を想いながら生きることは、能天気に生きる凡人とは、心の持ちようが違ってくるはずである。多分、いつも透徹した眼差しでモノを見てきたに違いない。その姿勢が全句に現れている。
010 すみずみまで妻のぬくもり春の月
027 生涯を秋の草摘むこのひとと
039 山茱萸の眩しさ妻に逢ひにゆく
055 ねこじやらし溢れむばかり妻癒ゆる
061 抱へきれぬほどの冬薔薇贈りたし(*)
妻賛歌の句がならぶ。帯の句からして、晩婚であったらしい。それだけに、はじめて見出した安寧なくらしの、一日一日が、愛おしいに違いない。いや、はっきりそう詠っている。読者の一人として、こころから祝意を表したい。
116 枇杷の花亡きひとの恩そのままに
何故かこの句を読んで、友岡子郷さんを思い出した。子郷さんのお住まいの最寄りの駅で落ち合って、昼食をとりながら、取材させて戴いた。その駅のそばに枇杷の木があったこともあって、子郷さんの〈死に泪せしほど枇杷の花の数〉が忘れられない。「いやあ、亡くなった方々を思い出すんですよ……」と静かに仰っていた。
118 残生のなほもまぶしき龍の玉
この句からは、村越化石さんを思い出した。目が見えなくなってからも、幼いころの故郷を思い出しては詠っていた。たとえば〈生ひ立ちは誰も健やか龍の玉〉だった。掲句は、幼いころだけでなく、残生も「まぶしき龍の玉」だと言っている。羨ましいではないか。
140 夕星のしばらくひとつ余り苗
一番星が出てからも暫くは明るい。田圃の端にぽつんと余り苗が一束おかれてあった。それに作者は気が付き、何かを思ったのであろう。寓話が書けそう。俳句は象徴詩でもある、ということをつい思ってしまう。表面的に叙景しただけでなく、奥行きの深さを思わせる句である。
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