自註現代俳句シリーズの一つで俳人協会が令和六年二月十日に発行したもの。
著者中村雅樹は、宇佐美魚目に師事、平成二年「晨」同人。大串章の「百鳥」にも所属。山本健吉賞、俳人協会評論賞など、すぐれた俳人論を書いておられる。平成三十年「百鳥」退会、令和元年「晨」代表となられた。
該句集はこれまでに氏が出された三句集から三百句を抽出し、短い自註を付けたもの。句中の漢字には全てルビがふられているが、ここでは省略した。
小生の感銘した句は次の通り。ささやかな一回性の事象を詠んだ平明な句が多い。
017 抽斗を抜き運びけり梅の空
018 段ボール箱より凧のつぎつぎと
022 胴乱と言ひ秋草を入れにけり
028 金網にあたりし音の蝗かな
037 ざぶざぶと舟まで歩き天高し
039 竹藪の中をとほりぬ避寒宿
063 炭竈の冷えてゆくなり山桜
071 弓弦のはづされてゐる良夜かな
075 甲板を走る自転車明易し
083 戸口まで母の出てゐる朧かな
103 永き日や糸鋸に板回しをる
108 赤子には簾の紐のおもしろく
109 玉砂利の中の団栗掃きにけり
119 虚子の忌の椿先生よつこらしよ
128 波に乗りかけて歩きぬ冬鷗
132 悼 大峯あきら先生
春を待つどんぐり山へ帰られし
151 すらすらと十も二十も茸の名
151 蕎麦の花伯耆大山暮れにけり
152 悼 岩月通子さん
笹鳴の方へと逸れてゆかれたる
小生のイチオシを掲げておこう。
083 戸口まで母の出てゐる朧かな
中村の自註には「何か用があるというわけでもなく、誰かを待っているのでもなく、戸口に母が立っていた。何でもないことであろうが、この光景が忘れられない」とある。なるほど、そうなのかもしれない。中村俳句には、何か理由があってこんな句が出来たのだという、意味づけを求める句は少ないようだ。それを承知で思うのだが、小生の読みは、どうしても母が戸口に立っている理由を想像してしまって、そこにごく一般的な、普遍的な「母性」というものを感じ、感動してしまうのである。作者は母が戸口に立っている様を現実に見ている筈である。つまり、作者は母とほぼ同一の場にいたのである。したがって、この句は作者が母の家を辞すときの景だと思うのである。あるいは「もうすぐ着くよ」と母に連絡してあって、母が息子の到着を戸口に出て待っていることに気が付いているのである・・・と読者の私は思いたいのである。だからイチオシに採るのである。
作者の作句意図と違ってしまって、申し訳ない。
全句を通して感じたことは、小生が日頃詠む句の持ち味とは全く違っていて、いかにもこれが俳句の本道を歩む句柄の句集であるという印象であった。その点、何やら粋がって意味性の強い俳句ばかりを詠んでいる小生に、改めて俳句の本道を思い起こさせてくれるような句集であった。多謝多謝であります。
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