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伊丹啓子句集『あきる野』


 

 「青玄」の後継誌「青群」の創刊編集発行人であった伊丹啓子さんの第三句集である(2022年8月22日、沖積舎発行)。

 偉大なる表現者伊丹三樹彦・公子を父母とする啓子氏の、父恋・母恋の句集である。もちろん、そのほかをモチーフとした句も多いのだが、私の胸に迫ってくる作品は、それらを通して三樹彦さん・公子さんを思い出してしまうので、そういうことになるのだ。だから、最初から白状するが、極めて強い個人的なフィルターを通しての読後感となってしまう。寛恕されたい。

 表題『あきる野』は〈011 向日葵めく深山蒲公英 あきる野に〉に因むのだが、あとがきに「街中の職住を往復して齢を重ねてきた。結果、近頃は山川草木の残る地に憧れるようになった。句集題名の由縁である」とある。あきる野市は東京都の西端にある緑濃い地域である。「深山蒲公英」は高山性のタンポポで普通のものよりも葉が密集していて「勁い」という感じ。


 私の共感の句は次の通り。


008 今生の植木一本 さるすべり

011 向日葵めく深山蒲公英 あきる野に

013 ハクビシン 祭化粧で訪い来たる

015 父母在(ま)さねば故里おぼろ 朧月

016  父を富士霊園文学碑苑に納骨

    父母なおも骨壺で添う 花菜冷え

032 友引とや そっくり人形棺に入れ

034 父母居らぬ帰省となりぬ 露寒し

045 長茄子の紺に いまさら祖母の恩

049  古稀の春

    コキコキと首の骨鳴る 古稀の春

062 吉祥のさかさ福の字 冴返る

063 このごろは頓に年とる 鵙の贄

067 鈍器のように鰹節並べ 昭和の店(たな)

076 公苑にわが墓碑もあり 朱の新た

077 山珊瑚ざくざく 母の玉手箱

079 終の日も文学少女 母のペン

080 柩車着く 棺の黄菊に風花が

081 火葬炉の鉄扉の名札 確かに母

082 凩や 死者は生者の意のままに

087 コンドルの国の松毬 掌にあまる

102 熱帯魚 モルフォ蝶めくサングラス

105 引き潮の泥をよろこぶ 鯥五郎(むつごろう)

108 建て替り 入れ替りして 神田村

124 曲り屋に 藁この匂い 炉の匂い

124 内裏雛の片方は馬 おしらさま


 中から特に私の琴線に響いた句を抜いて鑑賞したい。


015 父母在(ま)さねば故里おぼろ 朧月

 誰にでもいえること。父母あっての故郷である。景色も、町の佇まいも、友人も懐かしいが、父母がいない故郷はなにか気の抜けた「むかしの場所」でしかない。「朧月」がノスタルジーを茫洋とさせている。


016  父を富士霊園文学碑苑に納骨

    父母なおも骨壺で添う 花菜冷え

 傍が羨むほど仲の良いご夫妻だった。人生を終えてからも幸せな関係が持続しているのだ。羨ましい限りである。


032 友引とや そっくり人形棺に入れ

 「そっくり人形」は三樹彦さんそっくりの人形で、「青群」のメンバーの一人が丹精込めて作り上げた、あの人形なのであろう。私のブログにあげたことがある。たしか2015年2月末だったと思う。尼崎の南塚口駅の近くのお住まいに何度目かに訪ねたときのことである。玄関に三樹彦さんにそっくりの人形が置いてあった。見事な出来なので写真を撮らせていただいた。あの人形を柩に入れられたようだ(https://www.kuribayashinoblg.com、『伊丹三樹彦の百句』参照)。


076 公苑にわが墓碑もあり 朱の新た

 富士霊園なのだろうか。やがて自分も入るとしたら、ここが良いと決めたのであろう。「朱の新た」が効いている。


077 山珊瑚ざくざく 母の玉手箱

 「山珊瑚」は地殻変動で海の底が隆起し、珊瑚が稚樹で化石化したもの。赤く染めて珍重したようだ。チベットや中国山間部が産地であるようだ。世界を旅した伊丹夫妻はチベットにも行ったのであろう。それが母の宝石箱にざくざくとあった。啓子さんは母のいろんなことを思い出しているのであろう。


081 火葬炉の鉄扉の名札 確かに母

 単なる事務手続きの一端である「名札」に、現実を再確認させられる。母は昇天するのだ、と。この悲しみを詠むのに、季語はいらない。


087 コンドルの国の松毬 掌にあまる

 「コンドルの国」と言われれば、私には南米のアンデス地方である。崖の上で風を待つコンドル、ケーナ笛が奏でるフォルクローレ「コンドルが飛んでゆく」。この地方の松ぽっくりはでかい。掌に余るのである。


108 建て替り 入れ替りして 神田村

 何気なく福田甲子男の〈稲刈って鳥入れかはる甲斐の空〉を思いだした。これは一年の農村風景だが、神田界隈に長くお勤めになられた啓子さんは、何十年かの間に、街の様子がどんどんと変わって行ったことを思い出している。この状況を詠むのに、季語は使いようがない。


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