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伊藤春静句集『巡る』




 伊藤さんは、お名前からしてご婦人かと思ったら男性であった。しかも、現役を退いてから俳句に集中されたようだ。その点、小生と似ている。序文は「毬」主宰の河内静魚さん、跋は滝本結女さんで、お二人ともそろって伊藤さんの人柄を丁寧に紹介している。それによると、伊藤さんは「実業の世界で天下有用の学をもって活躍した」とあるし、「一見、優男に見えて、精神は氷片のように鋭く硬い」ともある。文學の森、令和四年六月十六日発行。


 自選十句は次の通り。


  待つたする露舎那大仏春の雲

  風景のやうに眺むるソーダ水

  頂の落ちて噴水終りけり

  どこまでも青空続く鉄道草

  秋蝶や巨大コンテナ集積地

  東京といふかたまりを秋の風

  サイレント・マジョリティかな冬木立

  冬の靄ユダの悔悟の二千年

  雨かるし山茱萸の花あるところ

  やまなみに雲居連なり残る鴨


 小生の感銘句は次の通り。(*)印は自選と重なったもの。


014 猫の恋バドワイザーのネオンの灯

019 凌霄や留守の隣家に鳴るチャイム

020 頂の落ちて噴水終りけり(*)

024 蟋蟀のちよつと霊柩車のかたち

026 平凡な日々に芯あり冬木立

029 輪唱のやうに数の子噛む二人

037 大西日大音響であるごとし

038 羅を着てシャガールを愛しけり

075 追憶の眩しさすこし小鳥来る

090 玻璃窓のボレロのやうな春の雪

091 春霞少女のごとき母います

100 花冷やかなめの硬き舞扇子

116 珈琲は焙煎したて秋の暮

122 小春日やルンバ行つたり来たりする

126 冬鷗足携へて飛びゆけり

136 寒き日の眼ばかりが歩みくる

151 郭公や森のかたちに夜の明けて

152 蟻の列子は太陽を赤く描く

158 この街を愛する小鳥来てゐたり

168 冬暖や名札のつきし母の服


 気に入った句が沢山あったが、中から幾つか鑑賞しよう。


014 猫の恋バドワイザーのネオンの灯

 何処で見たのかさだかではないが、レストランの入口や壁に小さなネオンサインが掛かっていた。「BUDWISER」とあった。多分外国の街だったのだろう。決して高級な店ではない。庶民的な感じ。よくバドとかクアーズを飲んだものです。注文するときはビールとは言わずに、銘柄を言うのです。「猫の恋」とは面白い季語を付けた。


020 頂の落ちて噴水終りけり(*)

 自選句と重なった。噴水が終る瞬間の見た儘を一句となした。何も大袈裟なことを言わないこのような巧まぬ句が好きだ。


090 玻璃窓のボレロのやうな春の雪

 窓の外は春の雪。じっとみていると、雪の降り方がゆっくりだが激しさを増してゆく。どんどんと激しくなるのだ。絶頂時は耳が痛くなるほどのボレロのよう。ボレロ好きの私には取らざるを得ない一句。


091 春霞少女のごとき母います

168 冬暖や名札のつきし母の服

 この句集には境涯ものはほとんどない。この二句くらいであろう。しかも母の句に限られていていて、しかも母への愛情が感じられる。そこがいい。 


122 小春日やルンバ行つたり来たりする

 この句も020同様、見たまま。ルンバをこう描写されると、男女の二人の映像が浮ぶ。只事のように見えて、なかなか巧み。面白い。


151 郭公や森のかたちに夜の明けて

 夜明け早々郭公が鳴きはじめる。森全体がひとかたまりで白んでくるのである。北海道生まれの小生にはよく分かる句。経歴を見ると、伊藤さんも北海道のお生れであった。


 伊藤さんの、向後の、さらなる俳句愛の増大を信じている。

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