畏友伍藤暉之氏は令和四年一月、八十一歳で亡くなられた。草田男門の磯貝碧蹄館の高弟で結社「握手」の重鎮であった。俳句の何たるも知らない小生は、初学から随分とお世話になったものである。
伍藤氏は、仲間内でも大の読書家であり、泰西の文学に詳しい「芸術派」であった。だから俳句も俗な日常や境涯やただごとを詠わなかった。諧謔も好まなかったように記憶している。帯にある次の抄出句を見てもそれが分かる。
露草は憑かれし草よ青窮む
夕映えに日々重くなる烏瓜
摘草の岸に置きたる猫の籠
ペルシャ史の碧舞ひ降りぬ犬ふぐり
そして次の辞世三句は、夫人に捧げられている。
二輪草の芽生えに妻と微笑むなり
二輪草の芽生えの濃さや妻の声
二輪草二輪になると妻と待つ
該句集は、ご長男が氏から「死後に発刊して欲しい」と託され、ふらんす堂から、令和四年九月五日に発行された。
氏自身のあとがきには、「今、(驢馬)バルタザールのように死んでいく自分が見えている。それが見えている自分も分かる。未練を持たず、名残をもって死んでいこう」とある。
帯文には「消えていく命の最後の想いは、ただただ妻への感謝の思いだ」とあり、夫人への感謝の深さが思われる。
小生の感銘句は次の通り。
010 仮死の空を束の間娶る朴の花
015 螢火の火垂るるほどの悶えかな
016 風呂敷の結び目正し水羊羹
017 「三千世界の鴉を殺し」昼寝覚
020 鏡から鏡の視線慈悲心鳥
024 迷宮を抜け来し貌の蜥蜴かな
030 浴衣の子浴衣の父を誇りとす
032 山百合や夕日の当たる司祭服
035 冷房や睫毛一本戦けり
065 風呂敷の折り目を正す一葉忌
068 手袋の指の岐れに夕日差す
070 泰西の志士の髭濃し狐罠
077 侘助の残る貸家を選ぶなり
078 火事の前正義唱ふる人ばかり
079 雪降るや都市も自然の形相に
079 何もかも召さるる日までマスクして
079 明日あると思はば火照る夜の蜜柑
081 マスクより睫毛が大事山手線
081 薪小割する楽しみのクリスマス
085 伊勢海老に似たり落馬のもののふは
085 梯子乗り宙のさびしさ足裏より
098 ペルシャ史の碧舞ひ降りぬ犬ふぐり
107 耕して土の温さを肯ひぬ
112 立つと決めし一人静の芽生えかな
118 花守の爪立ち歩く虚子忌かな
120 公家像はおほかた坐して花かがり
127 省略は快楽に似て花吹雪
131 辞世
二輪草の芽生えの濃さや妻の声
句会の後ではよく飲みに行ったものだ。呑むほどに、氏は、静かだが、雄弁になった。含蓄のある言葉が、いつも印象的であった。
一句だけ、ひとこと書かせてもらおう。
127 省略は快楽に似て花吹雪
この句は、まさに俳句の骨法を言っているように思える。しかも、命終を知り、花吹雪を待たずに逝った暉之氏を思うと、万感胸に迫るものがある。
心より、ご冥福を祈る。
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