佐藤みねさんは「小熊座」の同人。この句集『稲の香』(令和四年二月二十五日、朔出版発行)はその第二句集で、高野主宰の命名による。それに留まらず、選句も序文も主宰にお願いした、とあとがきにある。
序文によれば、佐藤さんは御子息を亡くされたとあり、土地柄(宮城県遠田郡)から東日本大震災の被害も甚大であったと思われる。だから、その関係の作品が多いであろうと予想した。しかし、そのテーマは、時間がたったせいか、比較的抑えられており、日常の叙景・叙物句が主体であった。彼女が詩を感受する対象が、平時の身の回りに沢山あるということが、この句集から読み取れる。
高野主宰が選んだ12句は次の通り。
新緑の闇より届く汽笛かな
詩才なき五体ながらも更衣
熊の皮剥がされ湖の澄みにけり
もしかして樹液の音か月涼し
寛星の一つに住みて明日を待つ
夕霞木霊の返事遅くなる
流星や宙のどこかに皺ができ
一粒の花種の上青い空
稲の香の溢れる道を夜勤明け
凍豆腐またたく星と息あわす
砂山のなんども崩れ三月へ
夕焚火みな少年の眼で笑う
小生が感銘した句は次の通り多数におよんだ。(*)印の7句は主宰選と重なったもので、かなりの高確率であった。
013 立春の波ひらひらと言葉生む
016 翼みな畳み三月十一日
025 窯出しの器の音や夏木立
027 孑孑や青空ときに恐ろしき
033 一合の米研ぐ音や雁渡る
034 良夜なり逃れし牛の声のせり
036 熊の皮剥がされ湖の澄みにけり(*)
042 待春の波の裏より星の声
054 巻雲へ鶏頭の声届きけり
056 初雁の空より波の音生まれ
058 ねんねこの夢ごとおろす膝の上
070 魂の集まりとして揚花火
072 鬼の子と目のあう日なり空は青
078 寒星の一つに住みて明日を待つ(*)
082 谷川の音もいただく木の芽和
086 夕桜にもかすかなる甘みあり
091 眼裏の乾き切るまで曼殊沙華
097 夕霞木霊の返事遅くなる(*)
104 夕星に子の名を付けて門火たく
105 流星や宙のどこかに皺ができ(*)
106 稲実る星のまばたき増やしつつ
108 落葉踏む魑魅(すだま)の声を感じつつ
124 稲の香の溢れる道を夜勤明け(*)
129 凍豆腐またたく星と息あわす(*)
131 淡雪は天の手紙か魚眠る
147 曇り日や水の膨らむ種浸し
149 十一日の波音とどく春障子
150 花過ぎの昨日とちがう風の色
155 ふるさとの風の音なり渋団扇
156 胸元に葈(おな)耳(もみ)つけて少女たり
167 折鶴の一折ごとのうららかな
169 新しき風に包まれ更衣
176 夕焚火みな少年の眼で笑う(*)
『稲の香』を読んで、亡き御子息を詠まれた句だとはっきり分かるのは、次の句
104 夕星に子の名を付けて門火たく
であろう。このほか、吾子へのレクイエムとして、高野主宰が序文で上げておられる句には
040 小春日や遺品の中のユニホーム
045 水切の子と追う春の光かな
084 子に飛び付き犬に飛び付くしゃぼん玉
がある。さらに逆縁の哀しさを感じさせる句としては、小生の深読みかも知れないが、次のような句が続いていることを、看過できなかった。
105 流星や宙のどこかに皺ができ(*)
106 他界にも星の生まれて稲の花
106 稲実る星のまばたき増やしつつ
107 箸持てば頭上を過ぎる雁の声
108 落葉踏む魑魅(すだま)の声を感じつつ
そうだとしたら、かなり想いを抑えた作品で、それが普遍性を齎している。
東日本大震災についても、内陸部にお住みだったとはいえ、相当な被害があったのであろう。次のような句が見られる。
016 翼みな畳み三月十一日
034 良夜なり逃れし牛の声のせり
149 十一日の波音とどく春障子
しかし、繰り返すが、この句集の主体は、震災やご子息のこともさることながら、むしろ日常賛歌の作品たちである。とくに前半には、「空」や「海」からの「音」や「声」を聴きとる句が多い。
013 立春の波ひらひらと言葉生む
042 待春の波の裏より星の声
054 巻雲へ鶏頭の声届きけり
056 初雁の空より波の音生まれ
空や海に何か大切なものの存在を感じ、そこからの声や音に意味を感じ取っている姿が見えるのである。そしてその言葉や声には生命感がある。それはこれらの作品に「生む」「届き」「生れ」など動詞が多く使われているからそう感じるのかも知れない。静物画的俳句ではないのである。
以下に小生の感銘句から幾つかを選んで鑑賞したい。
033 一合の米研ぐ音や雁渡る
佐藤さんの現下の境遇は承知していないが、娘さんとのふたり暮らしか、あるいは独居かと思う。一合の米を研ぐ音は澄んだ音でどことなくさみしい。ふと外を見ると雁が渡ってきている。「雁帰る」よりも、何となく救いがある。
078 寒星の一つに住みて明日を待つ(*)
この地球を「寒星」と言い切った。第三者的に冷やかに観ている。しかし、悲観的にならず、「明日を待つ」という。序文に高野さんが「みねさんはもともと向日性に富むひとなのである」と書いておられるが、納得である。
091 眼裏の乾き切るまで曼殊沙華
「眼裏の乾き切るまで」とは、慟哭の末に涙が枯れ切った状態、という意味である。悲しみのどん底を過ぎるまで、曼殊沙華に見入っているのである。
129 凍豆腐またたく星と息あわす(*)
豆腐を凍らせて「しみどうふ」を造る。小生の田舎では厳寒期に搗いた餅を四角く切って屋根に並べ、夜間に凍らせてから取り込んで、長期保存したものだった。晴れた夜は放射冷却でマイナス20度にもなり、星が呼吸しているように瞬くのである。
131 淡雪は天の手紙か魚眠る
中谷宇吉郎が「雪は天からの手紙である」という意味の言葉を遺している。これに「魚眠る」を配合した宜しさ。この「魚」は鯉であろうか?
167 折鶴の一折ごとのうららかな
この句からは、赤尾兜子の〈帰り花鶴折るうちに折り殺す〉や、渋谷道の〈折鶴をひらけばいちまいの朧〉を思いだす。「一折ごと」の繊細さと「うららかな」の配合も結構いける。
どの作品にも誠実さを感じる句集でした。
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