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半澤登喜惠句集『耳寄せて』



 短歌をたしなんでおられた半澤さんが俳句を始めたのは20年以上も前。「街」(今井聖主宰)に入られた。2004年には同人に推挙されている。

 序文は今井主宰が「緑陰の子等に主従の無かりけり」と書けば、それは純粋な子どもたちに対する通念そのものとなるが、半澤さんは「024 緑陰の子等に主従のありにけり」と書く。一般概念を疑ってみることも自己表現の原点ではないか、とある。


 主宰の10句選は次の通り。


  「駅馬車」を観て結婚す萩の頃

  病棟に行くも逢瀬や冬暖か

  「桔梗の水替えた」病室の白板に

  春暁や死にゆく人に耳寄せて

  一致して枇杷食べ放題の宿選ぶ

  名月や団地一周四千歩

  麦秋や片足で立つ医師の前

  すつぴんで値切る朝市夏蕨

  戦中の少女は傘寿豆の花

  芋蔓を食べしが長寿の先頭に


 一読して、自らの人生を実直に送って来られたご婦人の身の丈一杯の句集である、と分かる。伴侶との永別がこの作者の当然の、そして最大のモチーフとなった。句集名は、

  春暁や死にゆく人に耳寄せて

からとられた。全句がご自身の正直な目を通しての正直な感受が書かれている。平明であり、声高な主張やアイロニーはない。それゆえに安心して読める、いや、素直に読まされる句集である。


 小生の感銘句は次の通り。


015 樟脳の百の抜け殻囀り来

020 父の日と気付くポンペイ遺跡の中

023 筆箱の音に蹤き行く夏の蝶

024 緑陰の子等に主従のありにけり

030 屋上より白線点検運動会

037 自転車置く金木犀の香の中に

038 登らねば見えぬ砂丘の先の秋

046 万国旗のサイズは同じ冬暖か

060 春暁や死にゆく人に耳寄せて(*)

062 我が遺影思ふ通夜の座春の燭

065 もう何も置かぬと決めし夏座敷

071 郵袋を引き摺るホーム春一番

078 折紙の如き浴衣で手を繋ぐ

092 鰯雲平民とある嘆願書

097 芋蔓を食べしが長寿の先頭に(*)

117 花疲れ硝子にガラス注意札

118 子の降りてぶらんこ重くなりにけり

119 玄関に洋間に居間に黄水仙

120 蜂の巣の監視カメラのごとありぬ

141 鍵閉めて振り返る癖秋深む

157  阿修羅像

    三つの顔互ひに知らず春灯

176 すれ違ふビキニの臍の高さかな

189 耳袋米英の旗踏みし頃


 幾つかの句をとりあげ、勝手な鑑賞を加えさせて戴きます。


046 万国旗のサイズは同じ冬暖か

 全くその通りですね。大国も小国もみな同じサイズ。それに対し、この句は抗議しているのでも良いといっているのでもない。ただ受け入れているのである。その気分は季語「冬暖か」で分かる。 


071 郵袋を引き摺るホーム春一番

 正確には記憶していないが、路上生活者が地下道を、蒲団を引き摺って行く景が俳句に詠まれていて、衝撃を受けたことがある。この句は蒲団ではなく、やや専門的な「郵袋」である。しかも場所は鉄道のプラットホーム。「春一番」の強風の中、吹きさらしのホームで働く係員。ひたむきな労働者の姿を描写した。だが、プロレタリア俳句ではない。「春一番」に厳しいながらも救いがある。半澤さんは、046といい、この句といい、中庸の立場をおとりの方のように思える。


092 鰯雲平民とある嘆願書

189 耳袋米英の旗踏みし頃

 戦前・戦中の社会詠。これも世の移り変りをとやかく言うのではなく、懐かしさの気分の方が強いのであろう。懸命に生きてきた庶民が、現在の平穏な時代に至って感じる情感なのである。


118 子の降りてぶらんこ重くなりにけり

 成程と思わされる句。子どもが乗っていると、ブランコは軽快にうごく。降りると垂直に止まり、動かなくなる。それは重くて動けない姿のように見えるのだ。上手い句。


176 すれ違ふビキニの臍の高さかな

 半澤さんのようなお年を召した方の作品には見えない。明るさとユーモアと若さが横溢している。西東三鬼の〈恐るべき君らの乳房夏来る〉のようではないか!


 半澤さんの来し方が丹念に詠み込まれている句集である。

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