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名和未知男句集『妻』



 名和さんは「草の花」の主宰。昭和七年のお生れだから、今年で九十一歳となられる。その第五句集で、花の句はもちろん、旅吟と酒と忌日の句が多くみられる。氏ご自身はとてもお元気であられるようだが、一昨年、奥様を亡くされた。「胸部大動脈剝離」とあとがきにあるので、一瞬のことであったろう。それを

  上手く死ねたねと遺影に語り秋果つる

と淡々と詠まれている。しかし、感謝の言葉も、別かれの言葉も告げることができなかったことを悔いておられる。心中を慮ると、切ない。文學の森、令和五年三月二十九日発行。


 自選十句は次の通り。


  天上天下春風の空海忌

  さわらびの光の風となりにけり

  横川までの一里を閉ざす夏の霧

  めまとひや滅びの城の土塁跡

  妻あらばと呟きゐたる更衣

  八月大名二上山の見ゆる里

  妻逝きぬ二十日の月の朝かげに

  裏庭に妻ゐる筈と露を踏む

  枯蘆の水に映りて影も枯る

  妻無きに憤るる日ありや年用意


 小生が感銘を戴いた句は、余りにも多かった。まず平明であり、作者の感動が、整った俳句の形と力をかりて、読者に伝わってくるからである。どの句も形が美しい。(*)印は、自選句と重なったもの。


007 残雪や京は花脊のふるまひ茶

011 この景に一舟欲しや花の昼

013 石州瓦光りて燕また光る

014 急勾配蝶に抜かるる木次線

020 菜の花や岸のむかうもまた花菜

027 さわらびの光の風となりにけり(*)

031 そこはかと酢飯のにほひ立子の忌

038 道途絶ゆこれより先は蝶の領

044 公魚の素揚げの音も馳走なる

046 信と越分かつ峠をつばくらめ

052 節目延々北の大地に豆蒔かる

053 海霧深し海近くゐて海を見ず

063 水打つてある館や朝の一の客

066 弥彦山まで遮るもののなき青田

067 樋の無き藁屋の軒の男梅雨

073 めまとひや滅びの城の土塁跡(*)

074 比企一族の墓の荒れゆく苔の花

077 まだ青き雨の茅の輪をくぐりけり

078 月涼し湖底に遺跡あるといふ

094 妻あらばと呟きゐたる更衣(*)

101 手の甲に受くる漬物鵙の声

116 秋暁ややまとの風に鹿とゐて

119 妻逝きぬ二十日の月の朝かげに(*)

120 裏庭に妻ゐる筈と露を踏む(*)

122 深酒を許せよ妻よ秋は行く

122 青北風や妻なき旅ぞ今日からは

129 京洛もここは鄙の地稲雀

143 風に育ちて大内宿の葱辛し

146 雪掻きの戦力外となる齢

147 荒砥てふ終着小駅雪もよひ

158 ししうどの枯れても大き影持てる

162 亡き人のアドレス消すも年の暮

168 寝に落ちるその一瞬の冬の黙

184 恵方道天より一句降り来たる

185 臺灣から正字で届く年賀状

188 初鏡かくも重ねて卒寿なる


 花の句、羈旅の句、酒の句、忌日の句、そして奥様への追悼の句などを取り混ぜ、幾つか鑑賞したい。


007 残雪や京は花脊のふるまひ茶

 京都の北のかなり山あいの地「花脊」。常照皇寺や摘草料理の「美山壮」を訪ねたことがあるが、「花背」という響きの良い地名が忘れられない。名和さんもここを訪ねられたのであろう。共時性といおうか、「ああ、あそこね」という思い出を甦えさせて戴いた。「残雪」のころ、ふるまわれた「茶」は温かだったであろう。旅の句である。


014 急勾配蝶に抜かるる木次線

 これも旅の句。木次線はいまも運用されているのだろうか。松江の宍道湖駅から出る支線で、急勾配と急カーブがあるらしい。行ったことはないのだが、「蝶」に追い抜かれる、とは面白い。長閑な旅を思う。


020 菜の花や岸のむかうもまた花菜

 花の句であり、同時に羈旅の句。どこの景かは分からないが、平明な言葉だけで、大きな景を見せてくれる。〈066 弥彦山まで遮るもののなき青田〉があるが、この青田が菜の花の野になって一句を立たせている。話は違うが、あるとき、フランスの田舎をドライブしたことがある。遠くの山裾まで菜の花の野が続いていた。このとき、つくづくフランスは農業国だと思ったものです。フランスでも、日本でも、自然の美は、このような田舎で保たれているようだ。


031 そこはかと酢飯のにほひ立子の忌

 確か三月三日だったと思う。すらりとした着物姿の星野立子を思ったが、意外に「酢のにほひ」が合っていることを、この句から教えられた。雛祭りにちらし寿司でもこしらえているのだろうか。他に、空海忌、西行忌、百閒忌、草田男忌、迢空忌、中原中也の忌、赤松忌、漱石忌、寅彦忌、蕪村の忌、変わったところでは、ゴッホの忌の句がある。


119 妻逝きぬ二十日の月の朝かげに(*)

 正岡子規が亡くなったときの高浜虚子の句〈子規逝くや十七日の月明に〉を思い出す。一見、報告句のように見えるが、虚子はこの句を詠んだときの心情を、別途、切々と書いている。名和さんも、気持ちは同じであろう。いや、永年連れ添ってこられた「連理の間」なので、虚子ー子規の間にある思いとは違ったものであろう。ご冥福を祈っています。


122 深酒を許せよ妻よ秋は行く

 悲しみを酒で癒すことが可能かどうかは分からないが、呑まずにいられない心境は分かる。呑めるのは健康な証拠でもある。

 また、酒とは書いてないが、〈101 手の甲に受くる漬物鵙の声〉の句の背後にも、酒が予想できる。

 名和さんは愛酒家だと聞いているが、どうぞお元気で末永くお愉しみ下さい。

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