和田順子さん「繪硝子」主宰の第六句集である。句集『流砂』で第19回横浜俳話会大賞を貰っている。令和四年九月二十日、ふらんす堂発行。
自選句は次の15句。
いくそたびその名問はれて翁草
石積の集落どこも枇杷熟れて
ジーンズに脚入れて立ち夏は来ぬ
炎天を歩む失ふものは無く
炎昼の孤独たとへば深海魚
サングラス卓に置かれて雲映す
応へなきものへ語りぬ夜の秋
牛冷やす牛より深く川に入り
特攻を逃れし父の墓洗ふ
草の香やごぼりと水のありどころ
戻りたる椅子に秋冷来てゐたる
皆が居るやうに蜜柑を盛りにけり
開戦日マンホールの蓋ことと踏み
初礼者大きザックで来たりけり
小豆粥母は生涯京ことば
小生の共感句は次の通り。(*)印は自選句と重なった。
012 牛冷やす牛より深く川に入り(*)
014 稲光鳥居の太さ見せにけり
020 門前に拡げ松茸売りをらず
027 ひとり降り国道駅の寒さかな
031 小豆粥母は生涯京ことば(*)
033 ありさうな所にありて犬ふぐり
035 うららかや鶴石鶴に見えてきて
052 ひとりとはとなりに居ない寒さかな
053 寒き夜を注いで二つの湯呑かな
056 ことばより先に出てをり蕗の薹
057 正五位を夫に賜りあたたかし
063 夏弾くる草間彌生の水玉に
080 行く春をひとりの音に慣れにけり
090 応へなきものへ語りぬ夜の秋(*)
091 子が集ひ盆提灯の白吊す
105 花曇音たてて置く鍵の束
135 海光の明るさに住み年迎ふ
162 どの草の花と分かたず戦ぎけり
163 戻りたる椅子に秋冷来てゐたる
164 稲光島が大きく見えにけり
三百八句はすくない、とあとがきにあるが、小生の好みでは手ごろな数である。緊張を維持しながら読める数だと思うからだ。一頁二句立ても、一句一句ゆっくり読めて、好ましい。その一句一句が年季の入った作者の思いの欠片であると考えると、大切に寄り添って読もうと心がける。
012 牛冷やす牛より深く川に入り(*)
もうあまり見かけなくなった景だが、「牛より深く」が良かった。よく見て写生している証拠である。私の俳句教室で、写生句の見本として示したい句である。虚子の愛弟子の島村元の言を思い出した。彼は「写生」を論じ、例えば、〈稲妻や夏草茂る廣野原〉は拙い句である。虚子先生なら
稲妻や半ば刈られし草の原 虚子
と詠むであろう。稲妻と草の原の取り合わせは同じだが、「半ば刈られし」の措辞によって断然句が顕って来る。前の句(廣野原の句)の駄作と比較するまでもない、といった。この「半ばかられし」が「牛より深く」と同様みごとなのである。
031 小豆粥母は生涯京ことば(*)
「京ことば」と言っただけで、作者のご母堂の姿が想像できそう。さらに京出身のご年配のご婦人の典型のような人物を連想し、鑑賞が広がる。「小豆粥」は御母堂の古くからの仕来たりで、作者にも懐かしいのであろう。上手い、と感心。
090 応へなきものへ語りぬ夜の秋(*)
ご主人を亡くされた後の作品であろうと思い、感無量であった。その通りなのだが、「応へなきもの」は、ご主人に限らず、もっと広範囲の故人でもいいし、さらに、口をきけない小動物や山川草木でもいいのである。作者がこころ寄せている、あるいは、寄せていた、何かであれば良いのである。そのように広く受け取ると、素晴らしい一句だと感じ入った。好きな句です。
有難う御座いました。
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