
塩見さんの第三句集(2021年5月15日、朔出版発行)である。氏は先ごろ解散した「船団の会」(坪内稔典代表)のメンバーで、甲南高校を俳句甲子園で優勝に導いた先生でもある。
遅ればせながら、縁あって、該句集を読ませて戴いた。
自選句は次の12句。
アウンサンスーチー女史的玉葱S
飛魚を鎖骨に飼っている女
バナナ売り今日はアンテナ売っている
守護霊がおられるのですビールに泡
大の字になって素足に風を聴く
蟬しぐれ友だち百人出来て邪魔
爽やかや象にまたがる股関節
月ノ出ルアッチガマンガミュージアム
ノーサイドきみは凩だったのか
牛乳のちょっと混じった雪女
蒲公英を咲かせて天と地の和解
燕来る隣の駅が見える駅
小生の好ましく思った作品は次の通り。(*)印は自選句と重なった。
007 チューリップ兄より優し兄の友
幼いころは、兄の友人が眩しかったものだ。田中裕明に〈亡き人の兄と話して小鳥來る〉がある。この句とは直接関係がないが、小生は、007から、ほのかな憧憬を感じ取った。裕明句と同様、好きになる句である。
012 詫び合うて笑うて忘れわらびもち
頭韻を踏んでいる。少しやり過ぎ感がない訳ではないが、作者の遊び心がうれしい。
013 レタスから夢がこぼれているところ
「レタス」を、こんな風に詠んだ句を小生は知らない。手のひらを窪めた形とレタスが似ているからだろうが、単なる見立ての句より上等な抒情性を感じた。
025 豆ご飯子の友のこと子に褒めて
こういうことって、子供のいる家庭ではよくある。友達のことを子に褒めて聞かせると、子がどのように受け取るかが重要なのだが、そこまでを言わずにおいたのが良い。それは「豆ご飯」が補ってくれる。上手い季語。
108 コロッケのぬくさは正義冬めいて
理屈では説明できないが、この感覚は分かる。冷め切ったコロッケは「悪」なのである。
125 風花や子の𠮟り方叱られて
最近、公の場面で親が子を𠮟ることがなくなった。子どもの目に余る振る舞いを𠮟るにも、親は慣れていない。つい横から口を挟みたくなる。「風花」の配合も上手い。
136 春暁の後朝ふうのドライヤー
これは珍しく大人っぽい句。洗髪した恋人が出ていった。まだ温もりのあるドライヤーが洗面台に置かれてある。私小説の始まりのような場面かも・・・。
141 釣り人に背広が一人春夕べ
こんな場面がよくある。通りすがりのサラリーマンが釣果を訊ねたりしている。「春夕べ」がほのぼの感を醸している。
塩見さんは季語の遣い方がとてもお上手である。どの句にも、穏やかな納得性を感じる。叫んだり、嘆いたりしていない。あとがきに「二十代・三十代のころは俳句に野心的な表現を求めることが多かった」とある。その時代を経て、現在の平穏さがあるのであろう。また、「時には虫にも花にも星にもなって作った」ともある。それは俳句を楽しむこころそのものであろう。
小生の好きな作品はまだまだある。ここに掲げておきます。
036 飛魚の中でも目立ちたいタイプ
042 手で顔をあおぎ鰻重待つ二人
046 張り込みの刑事の部屋も大西日
060 汗かきの金魚の水を換えてやる
064 かき氷首はタオルをかけるとこ
065 世の中をちょっと明るくする水着
067 蟬しぐれ友だち百人出来て邪魔(*)
068 廃船に汽笛の記憶草いきれ
069 前世を太宰治という海月
088 朝露や車に車椅子積んで
094 消火器のなかが霧笛であったなら
100 文旦のゆさりと生ってるすの家
103 槽(ふな)口(くち)に陽のやわらかき新走
129 子に合わすカレーの辛み春隣
130 板チョコの斜めに折れている余寒
133 考えは変わる青のり一つまみ
136 耕して地球にファスナー付けてゆく
140 たんぽぽを歌手がマイクをもつように
143 関係者以外も置かれ雛飾
146 燕来る隣の駅が見える駅(*)
ありがとうご座いました。
Comentários