増田さんの第七句集である。氏には、詩集、句集、写真集など、数多くの著作があり、句集『冬の楽奏』でスエーデン賞・ソニー賞などを受けている。
この句集『かざぐるま』は高橋修宏氏の俳誌「五七五」に載せたものであり、シュールな現代俳句の典型だといえよう。二〇二四年七月二十日、霧工房発行。
自選句と思われる十句は次の通り。
亀鳴くやもう手を振らぬ空舟
白鳥や少女時代の染みひとつ
泣きじゃくる産土ありき雨の滝
銀漢にくびり鶏鳴く昭和かな
あけがらす蛇口は妣を滴らす
風もなく回る産室のかざぐるま
頬杖のまま没すべし海市立つ
まだ蒼き父の化石やさるおがせ
天上のぽんぽん時計老いの春
何処へも戻らぬひとよ冬花火
小生にとっては難解な句が多かった。かろうじて意味が分かり、かつ、いいと思った句を選んでみた。掲げよう。(*)印は自選句と重なったもの。
013 白鳥や少女時代の染みひとつ(*)
017 青しぐれ象は涙を溜めている
018 鳥影や母は赤子に負ぶわれて
019 つばさなき鳥の群れとぶ大夏野
021 唖蝉の鳴くふるさとへ還らなむ
027 店涯や紋白蝶のふきだまり
029 炎帝をこうもり傘の父が行く
039 空蝉にまだ陽の残る浅きゆめ
042 海(ご)猫(め)かえる木綿豆腐を賽の目に
059 新緑のふと恐ろしやマンホール
063 トルソーを抱いて螢を見にゆかん
067 風もなく回る産屋のかざぐるま(*)
068 くるぶしに雀隠れの暮れんとす
069 春の沖乗り捨てられし乳母車
072 まだ蒼き父の化石やさるおがせ(*)
白状するが、小生の読解力を以ては、理解の及ばない句が多かった。もちろん、俳句の宜しさは意味だけではない。はっきり説明が出来なくとも、何かを感じさせる句は、それはそれでいいと思う。この句集に、分かる句は数多いのだが、そこに、何かの映像や詩が描ければよいのだが、小生の映像化能力が乏しいのであろう。増田さんには申し訳ない思いだ。
増田さんは、現実にはありえないモノや景を書く。たとえば、019 つばさなき鳥、021 唖蝉の鳴く、067 風もなく回るかざぐるま、072 父の化石 などである。読者はあり得ないそれらのモノやコトを何かに置き換えたり、想像を巡らせたりして理解しようとする。理解できなくとも、何等かの映像が浮かんでくるものは、嬉しくなって戴く。
小生が映像化でき、かつ、感銘した句を書いておこう。
018 鳥影や母は赤子に負ぶわれて
赤子が母を負ぶることはない。しかし、幼いころ母によく負ぶられた記憶が意識の底に残っている。現実に帰って、いま私は母を負ぶっている。赤子であったはずの私が、である。時間と対象が一瞬入れかわって、現実から過去に飛んだのである。その景を第三者風に描いた。これは俳句が「詩」であるから可能なのだろう。
067 風もなく回る産屋のかざぐるま
風がないとき風車は回らない。だが産屋にある風車は、風がないのに回っている。読者は何故なのかと,理詰めで分かろうとする。分からない。だがふと、風車は水子のために飾られることを思う。そう思うとこの句が急に立ち上がる。何と悲しいことか。
刺激的な句集でした。有難う御座います。
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