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大崎紀夫句集『牛蛙』




 大崎さんは「俳句朝日」の創刊編集長で、新聞社を定年退職されてから「WEP俳句通信」を創刊し編集長となられた。同時に、結社誌「やぶれ傘」の創刊主宰、同人誌「棒」の同人でもある。この句集は第12句集で、2023年9月15日、(株)ウエップ発行。


 自選10句は次の通り。


  春風の吹き込むバスの席にゐる

  時計草神田あたりの神田川

  やや遠きところで吹かれさるをがせ

  雲の峯棒高跳びの棒しなひ

  いなご採る子らがたちまち遠去かる

  ヒメムカシヨモギがずつと揺れてゐる

  猫がどこかへ菊芋のそばを過ぎ

  夕日いつぱい初冬の藁ぼつち

  鮟鱇の腹さすられてより裂かる

  冬夕焼太極拳が続きゐる


 自選句からお分かりの通り、その句柄は平明にして明るく、見たままをそのまま言葉にして、小さな気づきを教えてくれる。社会への悲憤慷慨も、個人的な境涯をも詠わない。俳諧味をもった日常句がほとんどである。


 小生が関心を持ち、心に留まった作品は、次の通り多数に及んだ。


011 箒草まるまる枯れてをりにけり

015 菜の花が咲く畑まで坂のぼり

016 かげろふの向うで片手あげてゐる

017 山ざくら山のふもとを川流れ

017 春昼のふつくら大きもぐら塚

022 辛夷咲き近くで山羊が鳴いてゐる

034 橋下のくらがりを出る揚羽蝶

038 沼に雨雨の向うに牛蛙

043 坂をほぼ下りきるころねむの花

046 一日を干されて蛸が暮れてゆく

049 継目なきプラスチックの蠅叩

053 みんみんのこゑが思はぬ近さより

058 採りきたる通草を見せて去りにけり

065 道に出て大きくなつてゐる南瓜

065 団栗が落ちてゐるのはここらまで

067 猪垣のつぎあてトタンとか畳

070 とんび鳴き藷掘りのゐる川向う

072 雲腸を出さるるころの海は暮れ

074 もたもたと来て白鳥がパンを食ふ

079 鴨あまたゐる方へゆく鴨の水脈

081 鮟鱇の腹さすられてより裂かる(*)

086 何の畑か敷藁に霜おりて

097 春さむく足の短い犬がくる

105 塗畦のてかりが乾きゆくところ

112 透明な戦車が空をよぎる春

114 昼すぎにみな揚りたる蓴舟

115 つばめ飛ぶ進水式の船の上

116 塚山のてつぺんだけが草刈られ

120 草を刈る近くに山羊が立つてゐる

124 逃水を眺めてゐればバスが来る

125 炎昼の潮目をよぎる貨物船

131 草いきれこれより道は木道に

137 みみず鳴く近江の夜となりにけり

147 この角が秋の落葉の吹き溜り

154 稲架解かれ竹と丸太になつてゐる

155 鹿撃ちが川岸で鹿待つてゐる

156 バス停の方へバスゆく冬夕焼

160 公園の雪がへこんでゐて砂場

164 赤い星ひとつそこらに虎落笛


 大崎さんの作品の特徴は、二、三の例を除いて、全句が殆ど均質であることであろう。だから、どの句を読んでも大崎俳句の香りがするのである。中にあって、小生の誤解かも知れないが、数少ない異質な感覚を思わせる句は、


112 透明な戦車が空をよぎる春

164 赤い星ひとつそこらに虎落笛


であった。このような作品は、他の多くの現代俳句作家がよく詠うのだが、大崎さんの句集には珍しい。誤読をするといけないので、この件はこの程度にして、他の、実に多くの、大崎俳句から幾つかを鑑賞してみよう。ほとんどの句は平易なので、鑑賞といっても突飛な鑑賞ができるわけではないが……。


017 山ざくら山のふもとを川流れ

 花の山の麓には、必ずしも川が流れている訳ではないのだが、多くの場合はそうだろう。だからこう決めつけていわれても、そうだそうだ、と読み手は、その景を想像してしまう。うまい句である。


038 沼に雨雨の向うに牛蛙

 雨の中の牛蛙。近い二物の配合なのだが、雨が降っているその雨の向うに……こう雨を丁寧に繰り返しいわれると、牛蛙そのものの描写は何もないのに、雨の中の「牛蛙」に焦点が当たる。これも上手いなあ。


043 坂をほぼ下りきるころねむの花

120 草を刈る近くに山羊が立つてゐる

 単なる一回性の景であると思えば、それでどうしたのっていう疑問を抱いてしまう。しかし、平然とこういう句を見せられると、よくもこんな句を書いたものだと、感心してしまう。何でもないことをいってのけるところに魅力を感じるのである。大崎俳句にはこの種の旨さがある。只事を書きながら、そこに何らかの感情が湧きたつ。


049 継目なきプラスチックの蠅叩

 確かに竹や金網で作ったものは継目がある。プラスチック製では一体成型されるのであろう。だからどうしたのって、いってはいけない。そういう人には、この句の面白さが分からない。気づきは往々にして、ただごとで、機智的で、川柳との境目にある。


065 道に出て大きくなつてゐる南瓜

067 猪垣のつぎあてトタンとか畳

074 もたもたと来て白鳥がパンを食ふ

105 塗畦のてかりが乾きゆくところ

 写生句といってもよさそう。前二句は田舎ではときどき見かける景。しかし、上手く書けている。074も、白鳥が体を揺らしながら、よたよたと歩いてくる様が見える。105は、波多野爽波を思い出す。


155 鹿撃ちが川岸で鹿待つてゐる

 鹿撃ちが鹿を待たないでどうする! この当たり前の景を平然と俳句にする面白み。


156 バス停の方へバスゆく冬夕焼

 こんな当り前を句にしてどうするんだって? 季語は動いたってかまわない。バスがバス停に向かう日常の繰り返しを、五七五にするだけで「詩」になるのだ。これも爽波の再来のようだ。


 実に楽しい句集でした。失礼な記述がありますれば、本意ではありません。どうぞご寛恕を!


 最後にもう一句。


137 みみず鳴く近江の夜となりにけり

 実はこの句は、先に、少し変わった味のある句として挙げた、112や164とも違って、伝統俳句的な「わび・さび」のある句である、と私は感じた。他の多くの作品が機知を含んだ気づきを主体とした作品であったとすれば、この句は実にオーソドックスな伝統俳句的作品である。作者の句域の広さを、ふと、感じた。

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