大河原さんは「桔槹」(森川光郎代表)で研鑽を積み、平成28年に「小熊座」に入会した。福島県の文学賞正賞を受賞している。帯には森川代表が〈野鯉走る青水無月の底を搏ち〉を挙げ、「無類にして無頼」と称賛している。令和3年7月21日、現代俳句協会発行。
序文には高野主宰が「変化流動そのものうちに事象の姿を捉えようとするところに青春俳句の独自性が存在する」と書き、〈湯気立てて泥のスクラム崩れけり〉を挙げている。
高野ムツオの15選は次の通り。
荒星や日ごと崩るる火口壁
被曝の星龍の玉より深き青
手のひらの川蜷恋のうすみどり
根の国の底を奔れる雪解水
窓を打つ火蛾となりては戻り来る
夏果ての海士のこぼせる雫なり
七種や膨らみやまぬ銀河系
沫雪や野性にもどる棄牛の眼
水草生ふ被曝史のまだ一頁
野鯉走る青水無月の底を搏ち
骨片の砂となりゆく晩夏かな
わが町は人住めぬ町椋鳥うねる
白鳥来タイガの色を眸に湛へ
凍餅や第三の火の無音なる
被曝して花の奈落を漂泊す
小生の感銘句は次の通り。(*)印は高野主宰の選と重なった。
019 影のなき津波の跡も蝶の昼
035 湯気立てて泥のスクラム崩れけり
039 じよんからが発車の合図大雪野
047 敗戦日地下壕に目のまだあまた
078 被曝の星龍の玉より深き青(*)
086 遠野火や足の裏より土の息
088 踏青の誰の胸にもある砂漠
098 もう誰も踏まぬマウンド雲の峰
103 鶏卵のぬくみ掌にあり終戦日
106 田も民も棄てつくされて葛の花
118 ぼろ靴や詩の源流は凍らざる
119 鯛焼きの目の泳ぎゐる歌舞伎町
121 沫雪や野性にもどる棄牛の眼(*)
130 糸とんぼ高台移転といふ疎開
133 帰らなん五体投地の尺蠖と
135 踊の手亡者二万を先立てて
142 フクイチへ鶫近づくまた一歩
153 岩盤の擦れあふ音す春の闇
155 潮枯れの松こそ墓標あたたかし
167 手鏡に棲みつきし母遠花火
179 白鳥来タイガの色を眸に湛へ(*)
198 ヘビメタを耳に入梅鰯裂く
この句集の大きなテーマは東日本大震災であり、被災者や生き物、山河への鎮魂であろう。このテーマは多くの人々によって俳句に書かれてきた。高野ムツオの「萬の翅」はじめ、最近では「きたごち」の連衆のアンソロジーがある。これらとどう違うのかを、こころしながら読んでいった。中からいくつかを鑑賞しよう。
019 影のなき津波の跡も蝶の昼
阿鼻叫喚のあの津波。あれから数年経って瓦礫が撤去されたのだろう。一見平穏を示唆する「蝶の昼」という季語が出て来る。花にとまった蝶が昼寝をしているのである。まだまだ復興には程遠い実態なのだろうが、蝶には平穏が訪れている。大震災の俳句にこの季語を用いたのが手柄だと思った。
047 敗戦日地下壕に目のまだあまた
前書きの「沖縄16句」の一つ。ここでは「目」の表記に触れたい。ほかの句にも「目」と「眼」の遣い分けがしっかりしてる。フィジカルな「眼」と感情を持った「目」の違いである。たとえば、〈119 鯛焼きの目の泳ぎゐる歌舞伎町〉の「目」と〈121 沫雪や野性にもどる棄牛の眼(*)〉の「眼」の遣い分けである。細かな気遣いを感じ取った。もうひとつ、〈179 白鳥来タイガの色を眸に湛へ(*)〉の「眸」もあった。
088 踏青の誰の胸にもある砂漠
なぜか脈絡もなく佐藤鬼房の〈吾にとどかぬ沙漠で靴を縫ふ妻よ〉を思いだした。鬼房のは、いわゆる社会性俳句のひとつであろうが、大河原さんのは、みずみずしい「踏青」にあっても、こころには「砂漠」がある、という現代人のこころの中の屈折を詠んだ。
103 鶏卵のぬくみ掌にあり終戦日
戦後しばらくの間、家には鶏小屋があったものだ。産みたての卵を取りに行くのが楽しみであった。昭和ノスタルジーの句が、この句集に時々あって心休まる。
130 糸とんぼ高台移転といふ疎開
作者は昭和25年生まれだから、「疎開」は言葉でしか知らないはずである。だが、海辺の平地から高台への移転は、さながら「疎開」のようだという。言い得ている。
142 フクイチへ鶫近づくまた一歩
小生は仕事の関係で東電福島へ何度も出張した経験がある。業界では福島第一原発をフクイチ、イチエフとかF1(エフイチ)、福島第二原発をF2(エフニ)、ついでにいえば柏崎刈羽はKで呼んでいた。地元では「フクイチ」と呼んでいたのもうなずける。「鶫」は何かの暗喩であろうと思うと、重い句。
153 岩盤の擦れあふ音す春の闇
地震の原因は太平洋プレートが日本列島の下に滑り込んで歪が溜り、それが突然岩盤を持ち上げることで巨大なエネルギーが解放されるのだと解説されている。今も、岩盤が擦れ合っていて、歪みが増して行っている思い。「春の闇」が不気味。
155 潮枯れの松こそ墓標あたたかし
一本松のことであろう。下五の「あたたかし」が良く出てきたものだと感心した。
179 白鳥来タイガの色を眸に湛へ(*)
「タイガ」はここではシベリアの針葉樹林のことであろう。「タイガ」が俳句に出て来ることは稀有のことであろう。そしてそれは小生にとっては、ソ連での抑留日本兵に繋がる思いがある。冬がまじかになると、白鳥はシベリアから日本に渡ってくる。鬼房にもシベリアの句があった。父が北から流れて来たせいか、北方流浪志向があったように思う。〈月光とあり死ぬならばシベリヤで〉である。
東日本大震災がこの句集の一つのテーマであったが、中に、人生の奥処を描く作品や、心休まる句もあって楽しませて戴いた。多謝です。
余談を少々。
大河原さんのあとがきに東電福島第一発電所が水蒸気爆発を起こしたとありますが、これは「水素爆発」だとされています。核燃料の被覆材であるジルコニウムが高温となり、水と化学反応を起こし水素が発生したためです。異常時の水素発生は予想されており、そのため、水素除去の機能をもった「リコンバイナー」という白金触媒を使った装置が装備されているのですが、なぜか機能しなかったようです。
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