表紙絵は「見立て江口の君図」
大関さんの句集『大蔵(だいぞう)』を読ませて戴いた(ふらんす堂、2021年7月5日発行)。句集名『大蔵』は〈010 支那海を大蔵経は黄沙追ふ〉に因んでいると思われる。氏は、水原秋櫻子・能村登四郎・福永耕二に師事し、現在『轍』の主宰。句集・評論集が数多い。高千穂大学名誉教授。小生は、氏の安井浩司論である『ひるすぎのオマージュ』を読んで、安井の難解句に迫る氏の熱意に感銘を戴いた記憶がある。
この句集、150頁ほどのうち、94頁までが俳句作品で、編年体で一頁に5句並んでいる。だから400句ほどに及ぼうか。あとは氏の研究論文の「芭蕉と華厳経」が収められている。その骨子は、華厳経と芭蕉の間には、それを取り持つものがあり、それは、遊女ものの謡曲の「江口」だという。「江口」は西行と深い関係があり、当然芭蕉にもつながるのだ。具体論は
一家(ひとついえ)に遊女もねたり萩と月 芭蕉
から始まる。論中、「遊女」の定義が時代とともに変化していること(和泉式部も遊女だった!)、芭蕉やその周辺の「遊女」を詠んだ連句のこと、などを詳述している。ここで出て来る例句は、たとえば、
吉原の土手に子日(ねのひ)の松ひかん 芭蕉
にしても、故事来歴を知らないととても読みこなせない。「吉原の土手」とは、江戸の遊里新吉原の北にある荒川の堤防で、新吉原通いの道として利用されていた。また、「吉原の松」とは吉原の最上級の遊女の位を「松」といった。「子日の松ひかん」の「松ひかん」とは、その名だたる太夫を身請けすることをいうのだそうだ。また「子日の松」とは、平安時代の貴族が正月の初子の日に野に出て「小松を引いて千代を祝う」ことからきている、という。
そしてこの句集の表紙絵! 能の『江口』では遊女と舟が普賢菩薩と白象に変身するが、勝川春章の『見立江口の君図』では、まさに美女と白象が描かれている。遊女たちの間には、来世の倖せを願う「阿弥陀信仰」よりも現世の幸いを願う「菩薩信仰」が盛んであったのだろうと、大関さんは想像している。この絵こそ、芭蕉と西行と江口の遊女を結びつける証拠である、と大関さんは推理する。それ故にこの句集の表紙に使ったのではなかろうか。強いこだわりを感じる。
この論は後でゆっくり読むこととし、このブログでは、俳句作品部分に限って触れてみる。
自選10句は次の通り。
飛び跳ねて御手玉ほどの初雀
陽炎が持ち上げてゐる力石
常楽会動物園に人の列
苗代にみどりの針の無限かな
藤房が雨の百粒吊るしをり
白牡丹誕生も死も白衣にて
靑梅雨の水族館の静寂かな
梅雨蝶や錆びて動かぬ蝶番
空蝉といふアリバイを残しける
風鈴に月よりの風届きけり
小生の感銘句は次の通り。
007 満開の花びらほどの人死にき
007 櫻見る縄文人となりて見る
015 兜蟲あの世の金子兜太かな
020 鉾祭鉾が止まれば時止まる
024 祇園祭笛のすき間を鐘響く
029 東京を向きて案山子の威張りをる
030 足音はつはものどもや霜柱
035 生前の顔で煮凝る鮃かな
036 空耳は蝶のはばたきかもしれぬ
037 三門に扉はあらず鳥曇
038 陽炎が持ち上げてゐる力石(*)
043 かまくらや星の瞳の十粒ほど
046 かまくらといふかまくらに扉なし
048 かまくらに長靴ひとつ倒れけり
052 櫻穢土人去り桜浄土かな
053 生国の櫻はいつも吹雪きけり
059 初紅葉みな横柄な常緑樹
071 櫻満開戦を知らぬ天守閣
073 花吹雪往生といふ一仕事
076 宙に浮くわが身や瀧を見詰めすぎ
076 白牡丹誕生も死も白衣にて
077 風鈴に月よりの風届きけり
080 名刀の背筋を涼気走りけり
087 脳内の千手観音懐手
091 楪や同じ声して三世代
中から幾つかを鑑賞させて戴きますが、勝手な雑音でありますことを、お断りしておきます。
007 満開の花びらほどの人死にき
「祇園祭」や「かまくら」を詠んだ写実的な連作ものが多いこの句集にしては、この句、不思議な句である。「満開の花びらほど」の「人」とはどういう人を言うのであろうか。いま絶頂にある人をいうのであろうか。それとも、「桜の花びらの数ほどの多くの人々」の意味であろうか? 前者だとは思うのだが、この句のひとつ前に〈桜満開あの頃父と母がゐて〉があり、掲句との関わりがありそうな気がしないでもない。前書きがないだけに、読者の想像の範囲が広がり、魅力が増す。それを良しとして、いろいろ想像させて戴いた。一般論だが、自由な読みを許してくれる作品は、こうとしか読めない句よりも何層倍も魅力がある。もちろん、これに反対の読者(つまりきちんと的を絞った句を良しとする意見の読者)もおられよう。
007 櫻見る縄文人となりて見る
梅はもっと後に中国から来たらしいが、桜は縄文時代からあった。しかし、「花」といえば桜と言われる時代はずっと後のこと。だから、縄文人にとっての「櫻」をどういう意味合いで受け取ったらいいのかが、小生には不詳である。にも拘らず、惹かれたのはなんとなく野性的な桜のイメージを膨らませてみたからである。枝垂れや八重ではなく、山桜なのかもしれない。桜の花は縄文人に春の訪れを知らせてくれたのであろうが、稲作が盛んになるのは弥生時代であろうから、まだすっきりしない。大関さんの意図を拝聴したい気持ちがある。
037 三門に扉はあらず鳥曇
046 かまくらといふかまくらに扉なし
三門にもかまくらにも「扉」がないという普遍的な実景を読んだ。事実として「なるほど」と納得できる。
048 かまくらに長靴ひとつ倒れけり
一方でこの句は、たまたまその場面での嘱目句。私の言葉でいえば「普遍性」よりは「一回性」を詠ったもの。この種の作品に、小生は興味がある。作者の生きた「目」を感じるからである。
076 白牡丹誕生も死も白衣にて
これも、何度となく繰り返される事象、つまり、「普遍性」を詠んだもの。福田甲子男の〈生誕も死も花冷えの寝間ひとつ〉を思い出させる。生まれたときは真っ白いおくるみ。そして、最後は白装束。ところで「白牡丹」はどうだろうか? 白菊よりはいいのだろうが、むしろ目に見えない季語を置いたらどうなるか……などと小生は勝手に楽しませて戴いている。
先に述べたように、附録の「芭蕉と華厳経」からは、多くを学ばせて戴いた。大関さんの博識と熱意を感じさせる論でした。『奥の細道』の象潟から市振にかけての道中は空白が多い。小生のブログに取り上げた高野公一さんの『芭蕉の天地』でもそのことが解説されており、この間に詠まれた次の一句を突出させるための芭蕉の演出であったかもしれない。
荒海や佐渡のよこたふ天河 芭蕉
それにしても市振での〈一家に遊女もねたり萩と月〉の仮構性は、『奥の細道』を紀行文から文学作品へ昇華させる効果があったように思う。
大関さん、有難う御座いました。
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