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小倉倭子句集『帰心』




 小倉さんは、早くから結社「水明」(星野紗一に師事、のち山本紫黄に傾倒)で俳句を磨き、のち「円錐」にも所属し、澤好摩代表の指導をも受けている。栞には、「水明」の現主宰山本鬼之介(紫黄の実弟)が丁寧な小倉俳句評を書いている。もうひとり、澤好摩は、この七月不慮の事故で亡くなられたが、栞の原稿は用意してあったらしい。小倉の「初々しい情感」を書いている。また、この句集の完成には「円錐」編集長山田耕司の尽力が欠かせなかった。澤代表急逝のあとを引き継いだ。表紙画は小倉さんの孫の穂花さんの作品。

 2023年10月10日、書肆麒麟発行。


007 くちびるの冷えて桜の散る日暮

009 雛壇の前に共寝の兄いもうと

018 朧月うなじに重き黒真珠

020 天界の方がにぎやか忘年会

021 雪降つて人にやさしくなる夕べ

024 夕焼けるそこは紫黄の予約席

025 常温で手酌がよろし十三夜

026 煎餅屋の本家分家に石蕗の花

029 墨東の火の粉のやうな桜かな

048 拳骨で涙拭ふ子三鬼の忌

060 都鳥千代田区千代田一ノ一

073 女振り崩れはじむる菊人形

074 小春日に小春のやうな葉書くる

091 恋の句に嫌気がさして葱きざむ

095 ほつこりと蚕豆茹でて雨上がる

097 誰がためと言ふわけでなし無花果煮る

110 病む人に慰められて薄暑光

111 しんがりの蟻一匹をいとほしむ

120 とある日の小さな幸せ豆の花

128 母親は反面教師たうがらし

148 さりさりと絹裁つやうに林檎剥く

161 聖女にも魔女にもなれる桜の夜

168 行間を読み取る刻の虫の声


 小倉さんは「円錐」の句会「圓の会」では「小倉紫(ゆかり)」と名乗っていた。小生も何度となく席を同じくしたが、今回のこの句集『帰心』を読んで、正直、彼女の実力を再認識した。それは、佳句に絞り込んで句集を仕上げ、それを世に問う意味が大きいことを思い知らされた、と言い換えても良い。句会の席では見過ごしていた佳句がこれほど多かったことに、いまさらながら自らの力不足を感じたのであった。

 好きな句を幾つか鑑賞しよう。


007 くちびるの冷えて桜の散る日暮

 一言でいえば「花冷え」の候。だが、敏感な感覚を持つ「くちびる」に花冷えを感じ、それを書いたことが見事。「日暮」も無理のない措辞で、上手いなあと思う。


021 雪降つて人にやさしくなる夕べ

 こういう感覚って、雪の少ない地域の人にはありえるであろう。雪が齎す情感。小倉さんは抒情作家である。


029 墨東の火の粉のやうな桜かな

 この句は、山本鬼之介の栞を読むと背景が分かる。昭和20年3月の東京空襲がイメージとして彼女の脳裏に残っているのであろう。まだ五歳だったが、墨田区の生まれであった。戦火を別にしても、この一句は成立するかもしれないが、とにかく「火の粉のやうな」の喩が出色。


073 女振り崩れはじむる菊人形

 「菊人形」の美しさや、伝承・挿話を句にすることはよくあるが、崩れそうになった「哀れ」を詠んだ句は、私には珍しかった。「崩れる」「女振り」から、その前の妖艶な姿を想像する。


095 ほつこりと蚕豆茹でて雨上がる

 細見綾子の〈そら豆はまことに青き味したり〉を思い出す。「ほっこり」が茹で上がった蚕豆の質感を見事に表している。それに「雨上がる」で、気分が解放されて、うまい。


 平明で、楽しく読める句集を有難う御座いました。

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