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小山玄紀句集『ぼうぶら』




 異例づくめの句集である。「群青」同人の小山君は若干二十五歳。俳句四季新人賞や星野立子新人賞を貰っている逸材であるが、今回、第一句集を出すにあたって、今まで用いてきた小山玄黙という俳号を捨て、本名で、しかも有季定型をすてて、自己の意思をつらぬいた。

 異例づくめと書いたが、まず句集の体裁が変っている。四六判よりも37ミリほど縦長で、幅も6ミリ広い。印刷面は上半分だけで下半分が空白。箱入りというべきなのか、そのケースには背中がない。実にユニークである。収容されている作品も三分の一ほどしか私には理解が及ばなかった。用いられている言葉は平易なのだが、その文字列が安易な共感を拒否している。もちろん、意味不詳でも何かを感じさせてくれる作品は結構多い。だが通常の作家の平易さと比べると雲泥の差がある。無季句がおそらく三分の一はあろう。しかし、このことは私にとっては問題ではない。句集名の『ぼうぶら』は南瓜の意。〈103 一人一個ぼうぶら持つて前進す〉に因んでいるが、これを題名にした意図は私には不明である。ふらんす堂、2022年11月19日発行。

 序文は櫂未知子代表。跋は佐藤郁良共同代表。お二人のお祝いの言葉も苦渋に満ちている。その度合いは櫂さんの方が深刻に読める。「今でも私はこの第一句集のあり方に反対している。せっかく一冊目を出すなら、これまで評価されてきた数々の作品を並べたらよいではないか。玄黙の名で載り、皆が愛誦してきた句を載せたらよいではないか」「本当は、有季定型句だけで第一句集を構成して欲しかった。泣きたくなるほど、そうして欲しかった。しかしこれは、紛れもなく彼自身の選択である」「あらゆる批難を受け止めること。それをじゅうぶん覚悟しているであろう彼に、あらためていいたい。そう、断腸の思いで〈第一句集おめでとう〉と」。俳人協会の重い責にある櫂さんならでは苦しみもあろう。

 佐藤郁良共同代表は、こう書いている。「玄紀君はとびきり優秀な青年である。編集などの実務能力が高いばかりでなく、俳句に対する姿勢も誰よりも真摯であるし、さまざまな場面での他者への気遣いもできる。この春からは医師として第一歩を踏み出し、幸せな結婚も決まった」「この若くて優秀な才能が、今後どのような道筋をたどって大成してゆくのか、私にはまったく想像がつかない。彼にととって『ぼうぶら』が壮大な寄り道になるかもしれないし、このままさらなる斬新な冒険に突き進むのかもしれない。いずれにせよ、私の中にはいささかの心配もない。彼の才能と俳句への真摯な姿勢は、必ず大きな果実につながると信じられるからだ」。そしてこの『ぼうぶら』が私の心に与えてくれた揺さぶりを忘れずに、玄紀君の行く末をしずかに見守ってゆきたい……と書いている。

 小山君本人のあとがきには、両代表への深い感謝のことばが置かれている。


 さて作品である。かなりの部分が私にとっては難解であった。その典型は、


  113 菱形の神折畳む水辺かな

  114 桃色のピアノの内の豪雨かな

  114 深入した白菜の断面に


などであり、枚挙にいとまがない。もちろん、よりそった鑑賞ができないわけではないが、私にはかなりの努力が必要であった。


 さて、理解できるものでしかも何らかの詩心を湧かせてくれる作品を選んで掲げよう。(+)印は無季句。


022 竹馬のまま見送りてくれにけり

026 大丈夫ここも鶯のこゑがする

033 空谷をさらにさびしく夏鶯

035 涼しさや寺の中よりわらひごゑ

036 糠雨や蛍袋に跼むたび

056 遠き馬眺めてをれば雪婆

076 少年のかく頻繁に髪洗ふ

078 難しき映画を観たり夏休み

078 暗闇に麦藁帽子落つる音

086 白桃を剥いてゐるなり海の上

098 己が髪に溺れてをりぬ夜学生

104 物置の屋根傷みをり松手入

106 烏瓜自体は簡単なものの

115 一応は傍に鋏や日向ぼこ

135 蒲公英の数にこだはる女かな

136 黒猫は平均台を進みをり(+)

144 緑陰に恥しきこと思出す

147 御願の沢山ありぬ氷水

162 避暑の姉妹それぞれにある鹿のイメージ

177 曾祖母の埃つぽくなる時間かな(+)

179 みんな帰ると都忘になる母よ

179 姉様達と蝶狩に来ませんか

180 柏餅父はあつさり母娶り


 次に、やや難解だが、なんとなく詩情を、私に感じさせてくれた句群を挙げよう。


040 顔の乾いてゆきぬ芒原

051 眼鏡よりかすかな音のしてゐたり(+)

124 来し方は鶴の倒るる音したり

127 寒卵弦のふるへを遥かにす

143 胸中の斑点増ゆる五月かな

147 雲上にちらかる竹夫人の数

170 鯛焼をたべてのばすは親子縞


 こうやって並べると、結構いい句集ではないかと思うのだが、三分の二くらいは一筋縄ではいかない句集なのだということを意識したうえで、幾つか気に入った句を鑑賞しよう。


086 白桃を剥いてゐるなり海の上

 難解句の中にこのような平明で印象鮮明な句があると余計に惹かれる。若干二十五歳の配合の妙に感心する。


115 一応は傍に鋏や日向ぼこ

 この老練ぶりも恐ろしい。縁側で日向ぼこをしているのだ。仕事をしろっと言われることを予想して、傍らには枝切り鋏が置いてある。恐れ入った。


035 涼しさや寺の中よりわらひごゑ

 こういうことってあるのだ。私が「俳壇」の「難解俳句を齧る」に書いたことなのだが、飯島晴子にこんな句がある。少し長くなるが引用しよう。

  春の蛇座敷のなかはわらひあふ      飯島晴子

これについては清水哲男の次のような解説がある。

……この蛇はひさしぶりの世間に(出て来たので)おどおどしている。ぼおっともしている。そこへ、座敷のほうからにぎやかな笑い声が聞こえてきた。笑い声が聞こえてきた段階で、蛇は作者自身と入れ替わる。途端に、すうっと胸の中に立ち上がってくる寂寥感。人がはじめて寂しさを覚えるときの、あの仲間外れにされたような、誰もかまってくれないような孤独感を詠んでいるのだ(「増殖する俳句歳時記」より)……。

 この鑑賞の見事さは、「春の蛇」から「おどおどした蛇」を感じ取り、突然聞こえてくる人間界の笑い声から蛇の胸に「すうっと立ち上がってくる寂寥感」あるいは「疎外感」まで読み取ったところにあろう。

 さて小山句。法事か何かで寺の庭にでもいるのだろう。親族の笑い声が聞こえる。それが涼しく聞こえた。晴子句のような疎外感はないが、淡々と事実を書いている。結構いい句ではないか。


136 黒猫は平均台を進みをり(+)

 この感覚は気に入っている。平均台は女子体操競技の種目である。白っぽい柔らかな若い競技者の姿態を思い浮かべるのだが、ここは黒猫である。取り合わせが見事である。黒猫が句の主役になっている。つまり、季語でない黒猫でも季語相当の働きをするのである。無季句をあまり目の敵にしない方が良いと思うのだが、如何であろうか。


 この記事をお読みの方々は、決して難しい句集ではないのでは、と思うかもしれない。先に私にとっての難解句を挙げたが、無作為にページをさっと開いて、ほかにどんな句があるかを追記しておこう。


038 白靴や鱗と無縁なるわれら

096 ローマいま猫の鎖の切断あり(+)

135 天気図を熟読しては風車

161 夕童唐糸草にしがみつく


 鑑賞は読者にお任せしよう。難しい俳句を書くのが高度な俳人だとすると、小山君は高度な能力がある。その未来は、佐藤共同代表が信じるように、広やかであろう。しかし懸念もある。我々は過去に多くの先達がこのような冒険を試みた上で、平明な句に戻って行った例を限りなく見ている。新傾向俳句や前衛俳句がそうである。一過性であった。ただし、百年に一人か二人の天才(秀才ではなく)なら、新しい俳句を我々に示してくれるかもしれない。絵画の世界では、マネの『草上の昼食』のように当時の世間からの激しい批判や怒りに晒されながら、時代を切り開いてきた例もあるし、ピカソだってそうであった。

 小山玄紀君に期待しながら、もし本物のけた外れの能力があるのなら、非凡の中にも、他者からの共感に満ち満つような作品を、もっと増やして戴きたいと熱望する次第であります。この第一句集が、そのための不可欠な第一ステップであることを願っています。

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