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岩淵喜代子句集『末枯れの賑ひ』



 

 岩淵さんは同人誌「ににん」の創刊代表。句集『穀象』により詩歌文学館賞、『二冊の「鹿火屋」』にて俳人協会評論賞を貰うなど、論、作ともに能くなさる俳人である。その第七句集。ふらんす堂、2023年12月13日発行。ハーフトーンの表紙、261句という厳選された句の数、小生の好みに合っている。


 自選十二句は次の通り。


  花八手象牙の蕊をこぼしをり

  ひとびとに柳絮飛ぶ日の来たりけり

  仏法僧月に模様の生まれけり

  河骨は今日も遠くに咲いてをり

  空蝉の中より虹を眺めたし

  牛たちに夏野の乳房四つづつ

  草笛を吹いて己を呼びもどす

  脚二本顕はにしたる羽抜鶏

  蛭が出て坊さんが来てくれにけり

  何もなき部屋に夕焼満たしけり

  夫が来てしばらく桐の実を仰ぐ

  綿の実を握りて種にゆき当たる


 小生の共鳴句は次の通り。


013 動物園に檻余りをり草紅葉

015 柊の花のこぼるる音なりし

016 花八手象牙の蕊をこぼしをり(*)

039 寒椿仏も少し猫背なり

040 電球の振れば樹氷林の音

046 寒柝の音の転がる魚籃坂

046 近づきてみても寂しき冬桜

048 待春の海より明けてきたりけり

050 繭玉の揺るるや誰か帰るたび

057 まんさくの一樹に花のゆきわたる

077 花守の腰の鋏の黒光り

078 若鮎のあるかなきかの虹の色

082 裏山は名前を持たず豆御飯

084 石楠花の塊り咲きのおしらさま

084 水の香に目覚むる近江桐咲けり

090 瞳濃く摩耶と名乗りて涼しけれ

093 一日の初めに覗く兜虫

102 猛犬の日がな風鈴聴きゐたる

103 箱庭は誰も帰つてこない庭

108 孑孑の上下は目玉先立てて

116 人形に赤子預けておく晩夏

120 炎天やふと気が付けば分倍河原(ぶばいがはら)

125 夜ごと咲く月より白き烏瓜

131 梶の葉に書きなれてゐるらしき人

133 百畳の大間に何も置かぬ処暑

135 水の中までの夕暮歌女鳴けり

136 白桃を水の重さと思ひをり

138 鬼灯を鳴らせば愚かな音なりし

158 漁師らに手に取る近さ天の川

161 火遊びのやうな夕日の稲雀

162 村中の百舌に呼ばれてゐるところ


 冒頭にこの句集が私の好みに合っている、と書いたが、特に少数の厳選された作品に限って入集されている事実が気に入っている。個人的好みではあるが、一頁に3句も4句も詰め込んで400句ほどもある句集は、読む側にとって、同じ感覚をはじめから終わりまで通して持ち続けることができず、難渋する。これは、もちろん、序数句集についてであって、全句集や俳句集成の類には当てはまらない。急逝した澤好摩が日頃言っていた……300句以上もある句集は如何なものか……。同感である。


 さて、内容である。小生にとって手ごわい作品も散見されたが、読んで分かって好きな句が沢山あった。それらは上に掲げた通りである。「手ごわい作品」と書いたのは、配合の句にあって、二物の距離感が私には掴めなかった作品が幾つかあった、という意味である。それは読み手の私の責任である。


 好きな句をいくつか挙げておこう。


013 動物園に檻余りをり草紅葉

 つまり空っぽの「檻」が散見されるという意味である。軽いアイロニーと淋しさを感じさせてくれる。動物園に行って、動物を詠まずに、空の檻を書いたのである。その視点にユニークさを感じた。


015 柊の花のこぼるる音なりし

 その音を、私は聞いたことがない。おそらく音を出さないに違いない。だが、俳人、いや詩人には聞こえるのである。


040 電球の振れば樹氷林の音

 これは切れた「電球」であろう。そうでないと「振る」ことはない。振るとシャラシャラと軽い音がする。樹氷林を風が抜けるとき、そういう音がするのである。作者はそう確信していて、読者も、そうか! と同感する。015に通底するものがある。


057 まんさくの一樹に花のゆきわたる

 春一番に咲く金縷梅。「ゆきわたる」が、なんでもない表現だが、ぴったりでよかった。


082 裏山は名前を持たず豆御飯

 鈴木石夫に〈裏山に名前がなくて裏の山〉があったことを思い出す。裏山というのはそういうものなんでしょう。懐かしさがあります。「豆御飯」がよく出てきた。しかも丁度良い距離感だと感心しました。


090 瞳濃く摩耶と名乗りて涼しけれ

 「摩耶」という名を聞いて、誰を思うかで違ってくる。私は釈迦の母を思ったので戴かせてもらった。もちろん、釈迦の母であるはずはない訳だが、それを連想することで、佳句になったと思った。


120 炎天やふと気が付けば分倍河原(ぶばいがはら)

 「分倍河原」が絶妙。新宿や渋谷ではダメなのである。理屈ではないのだ。


135 水の中までの夕暮歌女鳴けり

 「歌女」に「蚯蚓」の意味があることを知りました。それにしても「水の中までの夕暮」という把握と「蚯蚓鳴く」の取り合わせの距離感……私にはギリギリだった。


136 白桃を水の重さと思ひをり

 これは素直に同感できる。「そうだそうだ」と言いながら戴いた。


 好きな句が沢山ありました。有難う御座いました。

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