広渡敬雄氏が第四句集『風紋』を出された(二〇二四年七月十七日、角川文化振興財団発行)。氏は、「沖」(能村研三主宰)の重鎮で、「塔の会」幹事、俳人協会理事をも務めておられる。平成二十四年に角川賞を受賞しており、著作に『俳句で巡る日本の樹木50選』や『全国俳枕の旅62選』などがある。山登りもされる健脚である。
自選句は次の十五句。
音の無き潮のうねりの淑気かな
春炬燵目薬ぽいと投げくれし
灯台官舎ありし灯台春惜しむ
山開き空葬(からとむら)ひの友ありし
御来迎彼の世の吾に手を振りぬ
献杯は眉の高さに小鳥来る
一本の冬木を父と思ひけり
一位の実さらに小さき掌に渡す
梨剥くや水の瀬戸際ゆくごとし
新海苔の罐のよき音よき軽さ
睡蓮を揺らす波その返し波
霾るや川筋気質誇りとす
絵師彫師摺師版元初仕事
烏瓜引かるるが好き引いてやる
鯉を飼ふ山の一戸や冬支度
小生の気に入った句は、次の通り多きに達した。(*)は自選句と重なった。
008 風紋は沖よりのふみ夕千鳥
010 慰霊碑は津波の高さ春の海
014 墨弾く色紙の砂子多佳子の忌
016 釘抜きと曲りし釘や不死男の忌
020 死ぬるまで泳ぐ魚や星月夜
030 破蓮の葉裏明るし久女の忌
031 日を溜めしまま溶けにけり薄氷
032 駅長と宮司仲良し梅三分
036 朧夜の灯すことなき浮御堂
050 撃たれたる熊の融かせる雪の窪
054 灯台官舎ありし灯台春惜しむ(*)
058 山開き空葬(からとむら)ひの友ありし(*)
059 鎖付きコップを戻す岩清水
063 根の国も照らす線香花火かな
064 献杯は眉の高さに小鳥来る(*)
065 本籍を移せる長女鰯雲
069 小春日のさらさら伸びる鉋屑
083 まだ温き草に坐りぬ大花火
088 虎落笛厳父のごとき黒電話
099 遺品より生まるる会話春の雷
100 てふてふと習ひし母や昭和の日
100 忘れられて人は二度死ぬ花柘榴
102 蛍狩昭和の闇の濃かりけり
115 酒吹いて縄結はひけり山始
121 海のよく見ゆる蚕豆畑かな
128 白南風や肘のきれいな人とゐて
129 図書館は木箱のごとし蟬しぐれ
130 アスファルトに残る靴跡終戦日
134 ベトナムに子がゐると言ふ夜学生
135 しづけさやラグビーボール立ててより
141 くろぐろと海の厚さよ枯岬
144 焚火より去り際の人こちら向く
147 戦争は海市の消えしあたりより
153 新米に触れひやりともぬくきとも
167 サーカスの跡地は広し寒北斗
168 押しかへす力を腕に鷹放つ
169 鷹舞うて球のごとくに山野あり
171 窓拭きの春告ぐるかに降りて来し
173 胴吹きの桜の幹や古武士めく
183 樹木葬夕かなかなとなりにけり
186 けふ少し妻いける口温め酒
191 ぬつたりと水より上がる蓮根掘
氏の自選句と重なった次の三句を鑑賞しよう。
054 灯台官舎ありし灯台春惜しむ(*)
一読、目に止まった句であった。あとがきで、室蘭の「地球岬」での一句と知って、さらに気に入った。小生も帰京する際、わざわざ途中下車し、室蘭に一泊して、地球岬を観に行ったことがある。以前から名前は知っていたのだが、訪れたことはなかった。「地球岬」という名前がいいではありませんか。水平線まで晴れわたった秋の日でした。たしかに灯台があり、官舎の跡地があった。人は見なかった。小生にとっても、灯台と碧い海が思い出の一景となっている。
058 山開き空葬(からとむら)ひの友ありし(*)
この句は「空葬」という言葉に惹かれた。山ではないのだが、東日本大震災の犠牲者のなかで、いまだご遺体が見つかっていない方々のため、仮の葬儀を出すことがあった。それを「空葬」というと知り、弔意をこめて〈行く夏のからとむらひか沖に船〉と詠んだことを思い出した。登山家でもある広渡氏も友人を遭難で亡くし、御遺体も不明なのであろう。重たい句でした。
064 献杯は眉の高さに小鳥来る(*)
頭上高く乾杯するのではない。「献杯」である。盃の高さは、たしかに控えめで眉の高さまでである。この場合は、故人への献杯であろうか。「小鳥来る」が、悲しみよりも懐かしさを表出している。
小生のイチオシを挙げておこう。
128 白南風や肘のきれいな人とゐて
この句集のなかでは少し変わった傾向の句である。「肘のきれいな人」が気に入った。こう書くことには若干勇気がいる。だが、「瞳」とか「髪」では平板的で常套的すぎる。「肘」を褒めるのは、永年の、心のこもった、地味な、愛情表現である。「白南風」もいい。
粒よりの佳句が並んだ句集でした。有難う御座いました。
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