広渡さんが「俳壇」に連載しておられた「俳句と樹木」に係わる記事が書籍化されたもの。樹木やそれを含む風景がカラーでふんだんに挿入されており、写真集のように美しい。簡潔な説明と例句が添えられている。2021年8月30日、本阿弥書店発行。
早速、小生の気に入りの記事から、いくつかを紹介したい。かなり私的なものとなりますが、ご寛恕願いたい。
落葉松 まず落葉松に惹かれた(16頁)。軽井沢の落葉松の風景が主に取り上げられているが、書中にあるように、北海道にもたくさん植えれている。主に防風林として、区画された広い畑地の端に、あるいは農道に沿って一列に植えられている。冬季、雪が吹き溜まりになるのを防ぐためである。特にきれいなのは晩秋の頃。広渡さんが挙げた俳句の中で、
からまつ散るこんじきといふ冷たさに 鷲谷七菜子
が、私には一番感動的であった。金色の針が風にのってキラキラと飛んでいくのである。私の原風景であります。
ポプラ 次はポプラ(20頁)。北大のポプラ並木が紹介されている。
アイスクリームおいしくポプラうつくしく 京極杞陽
この句は虚子が立子や椿ら大勢をつれて北海道を訪れたときの句です。杞陽が、椿らが句会を抜け出さないように監視していたそうです。アイスクリームをたくさん買って食べさせてもらった、と椿さんから聞いたことがある。大揺れの氷川丸だったが、椿さんは平気だったようです。この氷川丸は、今は山下公園に係留されており、観光スポットとなっているが、この施設を運営する会社の社長さんが京極杞陽の次男だったことがある。また、この船が現役だったころ、有馬朗人さん一家がこの船で米国に渡った、と直接伺いました。
広渡さんは、北大の恵迪寮にも触れられている。小生が昭和三十二年から一年半暮らした酷く汚い学生寮だった。しかし、キャンパスの楡は美しい。ポプラ並木も、小生が札幌に行くたびに訪れるスポットである。そばに新渡戸稲造の胸像があります(クラーク象は大学本部に近いところ)。
白樺 22頁。白樺は北国の春と秋のロマンチズムを演出してくれる。これも小生にとっては原風景の一つである。故郷にはスケート競技で有名な「白樺学園」がある。小中学校では、冬にグランドに水を撒くと、翌朝、鏡のようなスケートリンクが出来る。白樺の林がそばにあったりする。滑走する子供たちが白樺の木陰を通して見える……その中の独りが私でもあった。
イチイ 36頁。面白い話を書きます。阿部完市の話です。小生の「難解俳句を齧る」(「俳壇」2021年8月号)から抄録します。
……〈一位の木のいちいとは風に揺られる〉って俳句つくったんですけど、なんかそういう木がぽーと出てくる。(略)この句作ってから、飯島晴子さんが、しばらく後、「阿部さん、あなた一位の木っていうのはね、あの木はねえ」って言うから、「あの木ってどんな木なんですか」って言ったら、「あの木って、阿部さん一位の木見たんでしょ」って言うから、「見たことねえ」って。そしたら「えええっ」ってやられて。飯島さんは、見もしないものをこの人は俳句にしちゃうんだなってことがわかった。(略)しょうがないから一位の木ってのを探してね、教えてもらったんです。そうしたら、あららららら、なんだか知らないけども、私の一位の木じゃないですよ、あれは(笑)。あんな無様な木とは思っていなかった……。
完市の俳句には意味がないと言われている。私(栗林)は、そんなことはないと思っていた。言葉と言葉の繋がりのところで完市の俳句は意味を失うだけであって、一つ一つの言葉自身はしっかりとした意味を持っているのだ、と信じていた。ところが、飯島晴子との「一位の木」に係わる話を聞いて、私はその考えが間違っていたと思わざるを得なかった。常緑針葉樹で庭木にも神木にもなるあの「一位の木」(アララギとかオンコとも言う)を完市が知らなかったことは、私にとって衝撃であった。初秋に小粒の赤くて甘い実をつける、あの「一位の木」だ。しかも、風に揺れるようなヤワな木ではない。知らないで俳句に詠み込んでいるのだ。薬物を服用したとき、行ったことのない宍道湖さえ完市には見えていた。そう考えると完市俳句は実景に依拠せず、出来上がった句にはまったく真実味がなく、流れるような音があるのみとなる。
広渡さんも引用している。
たとえば一位の木のいのちとは風に揺られる 阿部完市
チングルマとメタセコイヤ (40,42頁) 私にとってはスイスのお花畑のチングルマ、カルフォルニアのヨセミテの大木(メタセコイヤ)を思いだします。後者は、それはそれは大木でして、幹を掘りぬいて人が歩けるようになっていました。
それにつけてもチングルマがれっきとした「木」であるとは……知らなかった。
トドマツ 74頁 北海道を代表する針葉樹椴松。林業の重要な樹木です。
広渡さんの
椴松や熊の爪痕鋭(と)く深く 広渡敬雄
は、見つけようとすると骨が折れますが、あり得る景です。熊の足跡とか糞などを教わって、怖かったものです。子供の頃、近所のお年寄りから、人が襲われたことを聞かされました。
防風屋敷林 80頁 私にとっての屋敷林は富山の散居村のそれです。砺波平野の写真が載っています。北海道の十勝のことも説明されていますが、屋敷林というよりも防風林でして、落葉松が多いです(前記、落葉松の項参照)。
ニセアカシア 88頁 六月下旬になると、札幌の街にはアカシアの絮がとぶ。それが風で道路の隅に吹き寄せられ、車が通ると巻き上がったりする。ポプラの絮を含め、札幌の風物詩である。
余談だが、アカシアと言われると、小生は、西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」を思いだす。気怠そうな歌声だが、何となく故郷の哀愁を感じるのである。
柿の木 98頁 柿の木は小生の故郷北海道にはないのです(蜜柑の木もないが)が、内地に移り住み、俳句をやるようになって、たとえば秋の奈良の田舎道を吟行すると、柿明かりや柿簾が、いやがうえにも目に止まったものでした。
これは春でしたが、斑鳩をあるきました。法隆寺から中宮寺をぬけて北上し、法輪寺・法起寺を参詣し、南に下り「ぽっくり寺」(吉田寺)を訪ねました。そのとき、豆の花が花盛りでした。そこで詠んだ句ですが、広渡さんが、柿の木→斑鳩の里の繋がりで、引用して下さいました。感謝です。
斑鳩の仏のまなこ豆の花 栗林 浩
ななかまど 102頁 これは北海道には街路樹として植えられています。冬、すべてが落葉したあと、真っ赤なナナカマドの実が青空に映えるのも、その実の上に雪がかぶさっているのも、北の風物詩です。次の句の深谷さんは、北海道は旭川の俳人です。
実の艶の雪にさきはふななかまど 深谷雄大
実に愉しい書でした。樹の俳句を詠もうとするとき、開いてみるべき一書です。
Komentarze