略歴によれば、平成29年に俳句を始め、「ひろそ火」(木暮陶句郎主宰)に師事とある。それでいてこの句集は既に第二句集(俳句アトラス、令和4年1月30日発行)であるようだ。それにしては(と書くのは失礼だが)作品は見事にきちんと出来ている。驚きである。
もう一つの驚きは、この句集、一頁に一句のレイアウトである。ごく普通の四六判というサイズで、一頁一句は、例が無いわけではないが、珍しい。通常、一句だけでは一頁を支えきれないといわれていて、相当な佳句・名句でなければならないとされている。しかし、杞憂であった。一読してみて、良質な句が収められていて、納得した。
序文は林誠司さんが、松本氏との出会いから詳しく書いている。
裏帯の12句は次の通り。
てのひらが包まれてゐる春日かな
目隠しをほどく手やさし花の雲
うららなり眠るも死ぬも眼鏡とる
風鈴や買ふとき風に好かれたる
森青蛙すこし動いて泡のなか
伊予みかん目の前あがる夏の月
復活はだれにもあつて万年青の実
この川にまぎれてゆけば秋の海
きのふよりけふの松島ななかまど
幸せは大地すれすれ福寿草
リハビリの様子問はるるラクダシャツ
咲いてゐるつもりのなくて返り花
小生の共鳴句は次の通り。(*)印は帯裏の句と重なった。
016 海鳴りに向かつて丘の麦を踏む
025 目に見えて雨やはらかし吊し雛
028 夜の雨に垂れていよいよ糸桜
030 夕まぐれ形代雛にちよんと紅
031 てのひらが包まれてゐる春日かな(*)
032 目隠しをほどく手やさし花の雲(*)
034 人力車乗りたしけふの花吹雪
098 ゲルニカの馬にたづねよ八月来
100 送り火や面影みんな向かうむき
110 咲くものは腰の高さの花野かな
125 羽織るもの一枚手にし十三夜
127 秋日濃し丘の一樹の無言劇
134 とりかこむ北信五岳走り蕎麦
135 草の実を付けてうれしい仔犬かな
136 きのふよりけふの松島ななかまど(*)
141 風邪治りたるらし俳句やたらに出来
148 咲いてゐるつもりのなくて返り花(*)
句数は120句ほどであろうか、この句集に難しい句はない。違和感や不快感を抱かせる句もない。世の中を批判しようとする句もない。病の句らしいものはあるが、病害句が多いとも言えない。概して健康な、優しい情感の、そうだそうだと共感を呼ぶ句の集まりである。その証拠に小生の共鳴句が17句、内(*)印の句が4句もあった。この比率は結構高い。松本句が小生の好みに合っているのであろう。嬉しい限りである。
098 ゲルニカの馬にたづねよ八月来
この句は帯文にもある。世に、ピカソの「ゲルニカ」に係わる俳句は多く見られる。例えば、
ゲルニカの牛の涙や春の雷 平野無石
ゲルニカ彩なき声の走る青野 松本照子
一斉に首垂る片栗ゲルニカ忌 榎本利孝
陶板のゲルニカ原寸大や朱夏 上野章子
ゲルニカの馬にまたがり春の虹 仙田洋子
芭蕉照らす月ゲルニカの女の顔 黒田杏子
などがインターネットですぐ見つかる。実は小生も詠んだことがある。それは
ゲルニカにただ一輪の返り花 栗林 浩
である。牛や馬や嘆き悲しむ女が描かれていて、よく俳句の題材になる。世界中を旅したこの傑作は結局スペインのマドリッドに落ち着き、小生も彼の地で実物を観たことがある。
絵の中央最下部にただ一輪の花が素朴に描かれている。それを小生は「返り花」と見立てて、北スペインの小村の犠牲者への供花のように受け取ったのである。
松本句のゲルニカも、日本人にとって特別な思いのある「八月」を配合し、思いの丈を、悲鳴を上げているような表情の「馬」に託している。
「概して健康な、優しい情感の、そうだそうだと共感を呼ぶ句」が多い中で、このような重く深く思惟めいた句が、もっとあっても良いと思うのは、小生だけだろうか。
148 咲いてゐるつもりのなくて返り花(*)
「返り花」の特徴をうまく捉えている。小生の前出の「ゲルニカ」句にも「返り花」が出てくるが、さりげなく咲いて、戦災地の人々を慰めている感じである。そう考えれば、この句は小生のイチオシの句といって良いかもしれない。
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