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林 誠司著『俳句再考―芭蕉から現代俳句まで』



 林さんは「俳句四季」と「俳句界」の編集長を経て、「海光」の創刊代表、出版社「俳句アトラス」の設立者でもある。

 該著は、初心者から中級者に亘って、読みたくなる俳句の疑問点・テーマと言ったものを通説と私説とを含めて解説している。

 小生にとって興味あるテーマの幾つかを要約してみよう。


 季重なりの是非

 町の俳句の先生は通常季重なりを強く否定する。だが、該著では問題にしない。過去に多くの季重なりの名句があるからである。

  梅若菜丸子の宿のとろろ汁     芭蕉   

  紫陽花に秋冷いたる信濃かな    久女   

これらの例を引くまでもなく、特に、昔はおおらかに季語を一句に二つも三つも使ったものだった。

 切れ字の重複

 これも同じ。一概に否定はしない。林さんはおおらかである。ただし、切れ字の重複は一句の山場が分散してしまい、感動が薄れるので難しい、という。そして

  春昔十五万五句の城下かな    子規

  降る雪明治は遠くなりにけり  草田男

  胸の手暁方は夏過ぎにけり    波郷

などを挙げている。もちろん、「抱き字」の説明もある。

 三段切れ

 これも感動が分散されるので勧めはしないが、名句はある。

  目には青葉山時鳥初松魚      素堂

だから必ずしもダメではない。

 字余り・字足らず

 芭蕉にこの例が多い。

  塚も動け我泣くこゑは秋の風    芭蕉

  旅に病で夢は枯野をかけ廻る   

生前最後の句も字余りである。調べが良ければ許されるのだ。あまり細かいことに拘らなくて良い。

 ただし、これは私見だが、上五が6音7音になっても、中7下5がしっかりしていれば「調べ」が整い、問題ないというと思う。しかし、字足らずについては、極めて難しい、というのが実感である。

 ルビの問題

 「掌」にルビを打って「て」と読ませる。それを嫌う人はいる。林さんは、この場合は良いのではないかと考えているようだ。ルビを沢山打つ方が初心者にも分かって貰えるのだが、それも作者の考え方次第。結論的には、どちらでも良いというのが本音のようだ。

 私見・私感を少し。小生が俳句を始めた頃の先生は「こんな易しい言葉にもルビをふるのは読者を見くびっている。気に入らん」と言っていた。「湖」という字は広辞苑を探しても「うみ」という読みはでていない。しかし、俳人の間ではそう読むのが常識になっている。だから湖に「うみ」というルビはいらない。「腕」を「うで」と読むか「かい(ひ)な」と読むかは、読者の、または、披講する人の寸時の判断で決める。そこに面白さがある。小生は、ルビは最小限にすべきだという考えである。もちろん、ふるなら漢字全部にふる、という考えも分かる。

 カタカナ俳句の是非

 カタカナを毛嫌いする人がいる。カタカナは、ひらがな同様りっぱな日本語だから、毛嫌いするな、と林さんはいう。また外来語(=カタカナ)を嫌うのも、宜しくない、とお考えだ。俳句は、そもそも、漢語(外来語の一種)を取り入れた歴史がある。それと同じだと考えるべきである、という。小生も全く同じ考えだ

 高得点に名句なし

 この項が面白い。しかし、敢えて抄録しない。ぜひお読み戴きたい。


 まだまだ興味深く、抄録したい項目があるが、どうぞ原本をご覧戴きたい。令和4年8月25日、俳句アトラス発行。2200円+税。

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