第六章 切字「た」の源流を遡る
兜太が切字の「た」を使い始めるまでと、その後の使用状況を、兜太の志向の変化を読み取るように、柳生氏の記述は進む。
連体形の「た」は「忘れた顔」とか「似た風」のように兜太の口語体の俳句に、初期からみられる。しかし下五の「た」は、どうも山頭火を兜太が勉強したころから使い始めたらしい。山頭火には〈泊まるところがないどかりと暮れた〉など、切字の「た」が多い。一茶の影響もあったらしいが、句集『両神』では、「いた」「咲いた」「消えた」など、「た」止が頻繁にある。だが、最後の自選句集『日常』では4句しかないそうだ。しかし、遺句集『百年』の掉尾は
さすらいに入浴の日あり誰が決めた
となっている。柳生氏は、この「た」止に、兜太の「純動物」性を感じ取っている。
第七章 放哉、山頭火、白泉の「た」
春の山のうしろから烟が出だした 放哉
山の奥から繭背負うて来た 山頭火
戰爭が廊下の奥に立つてゐた 白泉
兜太の〈おおかみに螢が一つついていた〉の「た」は、俳句史上、おおもとに一茶がおり、放哉から山頭火、また一石路、夢道、一方では白泉、鳳作がおり、これらの流れを引き継ぎ、研ぎ澄まされたいった結果であった、と柳生氏は例句を揃え、推論する。「おおかみ」の一句の「た」は、自由律、プロレタリア、新興俳句、そして兜太自身の出自たる人間探求派それぞれのエッセンスを、相互の対立を乗り越えて巧みに引き継いだ点で、兜太ならではの一句であろう。
第八章 最短定型と世界文学
この章では、破調が多いように見える兜太の句でも、本音は定型意識に沿っている、という。季語・季題よりも五七五の定型感を守るのである。ただし、五七五(三句体、十七拍の文語定型)は日本語の特性あってのことなので、他の現代書き言葉や外国言語では、違った定型がありえるであろう、と兜太は考えている。日本語俳句に関しては、意外なほどに定型(五七調三句体)と「最小限(ミニマル)」性への拘りが強い。
この章には、次章への伏線的な記述がある。それは「日本語では〈漢語〉を音声化する際に膨大な同音異義語が生まれた。これは音声面での〈差異〉を前提に構築されたソシュールの言語学からすると、ありうべからざる現象である」という記述である。
第九章 呼びかける俳句、眺める俳句
言語学者時枝誠記と兜太の通底性がこの章の眼目である。言語学的な議論が多く、多少難解なのだが、ソシュールを批判した時枝の考えに兜太の俳句は近い。そうして、勅撰和歌集や「ホトトギス」の「眺める文学」に対し、万葉集や兜太らの社会性俳句の「呼びかける文学」の差を解説する。
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ
この句は「アベ政治を許さない」同様、政治的プロパガンダでスローガン的であり、批判が多かったのだが、「文学と言語の連続性を強調する時枝は、議会演説、教会の説教、自然科学の論文も、その表現が我々の鑑賞に堪えるものである場合には、これを文学と呼んで差し支えない、と宣言する」「(兜太俳句は)時枝の文学観の実践そのものだった」と結論する(ただし「我々の鑑賞に堪えるものであれば」の条件があることが重要だ、と小生は考える)。
第十章 図々しく語る無意味の意味
兜太は、政治用語も俳句用語も区別しない。「憲法九条」も俳句に取り込んで違和感はないのだ。態度の問題で、この点はいとうせいこうと違う。
沖縄を見殺しにするな春怒濤
兜太のこの種の俳句は、例えば坪内稔典らに「表現のレベルが低い」とか「スローガンだ」として批判された。しかし、兜太にすれば、若々しい平和の体現された姿を「図々しく」表明していくことが何より重要だった。これは「眺める文学」から「呼びかける文学」への展開であると見ている。
「図々しい」俳句を詠むのは虚子もそうであった。
川を見るバナナの皮は手より落ち
流れ行く大根の葉の早さかな
などである。この類の句は虚子に沢山あって「ただごと俳句」として、その価値が認められ、素十や立子に引き継がれている。究極的に観照的俳句には「無意味」と「ただごと」しか見いだせないことを前提としている。
一方、兜太のスローガン的俳句は、文学的に無意味とみなされやすい点に於いて虚子の「ただごと俳句」と軌を一にする。しかし、兜太は、そこに生きもの感覚や存在者という思念が「図々しく」詠み込まれている。そこが兜太の特質である、と柳生氏は師を賞賛する。
第十一章 差異としての虚子/兜太
虚子の思考には「俳句/非俳句」、俳句の「内側/外側」の二項対立があった。その分かりやすい図式が大衆的支持を得た。一方、それは自身の俳句世界に矛盾を抱えることになった。この矛盾の排気弁こそ自句への「無意味」の導入であり、そうすることによって自身の世界にある「意味/非意味」の大きな対立を中和させたのではなかろうか(柳生氏が用いた言葉とは少し違うが……)。虚子の名句には「非虚子的」な句があるのである。
兜太の「造形俳句六章」は、いま虚心坦懐にひもといてみると、虚子を中核としたホトトギスの花鳥諷詠派、馬酔木、新興俳句の各派、さらに師と仰ぐ人間探求派の草田男、楸邨さえも批判の俎上に載せる過激な内容でありつつ、それぞれの潮流が持つ俳句史的な必然性を踏まえ、対立的な現状を乗り越えることで生まれる「次」を展望する志向に貫かれている。ある意味で、兜太ほど広い視野から正岡子規以降の俳句を明確な発展史観を以て見つめようとした俳人はいなかった。
俳句における「漢語」と「やまと言葉」の性格、末尾の「た」の効果など、気が付かなったが、言われて見ればすさまじいまでの意義がある。そのことを気づかせてくれただけでなく、その指標を以て俳句表現史を俯瞰して見せてくれた。渾身の著作である。
有難う御座いました。
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