赤尾兜子、橋閒石、桂信子に師事した柿本多映さんは、個性豊かな俳句を詠み続け、2020年に蛇笏賞を貰われた。この句集『ひめむかし』は、その後の句集である。ただし、この句集のために残しておいた以前の作品をも入集してある。虫と草をあしらった表紙画が素晴らしい。メトロポリタン美術館のもの。2023年8月8日、深夜叢書発行。
『ひめむかし』はヒメムカシヨモギのことで、鉄道草とか明治草とか言われたもの。けっして艶めかしいものでも、やんごとなきものではない。そこがまた面白い。
小生の気に入った句は次の通り、実に多きに達した。予定調和的な句は皆無とは言わないが、ほとんどが初めて見るような俳句で、柿本さん独自の「詩」が入っている。
009 さはらねば水蜜桃でありにけり
012 息吸うて吐くよろこびや夜の蝉
014 なやらひし鬼を小声で呼びとめる
020 尾道へさるのこしかけ届けます
022 老人と目高たちまち赦しあふ
025 洪水が来るまで豚は豚で在る
025 二月三月葬式饅頭いくつ食べた
二、三月の時季は寒くて人がよく亡くなるので・・・ということであろうが、次の句も挙げておこう。
069 二月三月十針縫ひたる心地して
十針縫うということは、それほど大きな手術を受けてということか? 何となく025の句に繋がっているような気がするのである。
025までが、『仮生』以前の作品である。以下はすべて2013年以後の句。
032 朧夜の美僧は水の気配して
043 黄泉までは蹤いて来るなよなめくじら
次の句もあり、並べておく。「死」に対する複雑な心境のブレと言えようか?
144 黄泉路まで従(つ)いておいでよ蛞蝓
056 馬の眸のつめたさに麦熟れてゐる
062 咲く前の冬のさくらのさくらいろ
065 配達人梅の家から出て来ない
なんとも面妖で、不気味な句である。
066 愛惜とは膕(ひかがみ)を擦る春の猫
072 鏡騒とはおそろしきかなさくら
潮騒、街騒ならわかるが、「鏡騒」は造語であろうか。昔話に「鏡騒動」というのがあって、はじめて鏡というものを見た田舎の男の騒動話があるようだ。蛇足だが、小説『ぴんはらり』(栗林佐知著)も鏡を初めて見た男の物語であった。
081 蛇は衣を遺して掌が寒い
087 雪が降る昔話のやうに降る
089 タトゥーの蝶初蝶として我に来よ
104 夕立あと奇麗な足が垂れてゐる
107 まはりから指のあつまる蝉の穴
108 床下に穴は掘られて昼花火
115 青蛙十一月を鳴いてゐる
126 雪しんしん逢はねば見ゆる美童かな
138 亀鳴くと夢の間に間に桃流れ
143 夜の崖蝶一頭を留めけり
この句からは佐藤鬼房の〈齢来て娶るや寒き夜の崖〉を思い出すし、後ろに次の句があり、ここに併記しておこう。
213 鉄砲百合夜を崖からはみだせり
151 掌を返す男と葛の花
152 蟻の巣に冬来て松本楼灯る
160 てのひらに青い花咲くゆふまぐれ
164 何事も無きが如くに蛇よぎる
174 鏡餅どこに置いても鏡餅
179 てふてふと息合つて滋賀県にゐる
184 潜水艦の中の林檎が狙はれる
197 閒石忌海鼠を噛んで呑み込んで
203 或る日ふとフォークで蝶を食うべけり
金原まさ子さんの〈ひな寿司の具に初蝶がまぜてある〉を想いだした。お齢を召されても発想は奇抜!
205 蛸になりたし万国期をかかげ
208 かたつむり真紅の泪みせるなよ
221 象の眼の奥の虚空や冬銀河
229 春や有為の奥山越えてダンスダンス
229 骨片も手首も晴れて桜かな
244 ひめむかしよもぎの話年移る
冒頭に書いた通り、「ひめむかし」はこの句集の表題にもなっているから、重要なモチーフなのであろうが、小生には読みこなせていない。
好きで面白くて驚くような作品を、列挙するだけで終るのは申し訳がない。幾つかを勝手に鑑賞させて戴きます。
009 さはらねば水蜜桃でありにけり
本当にそう思う。触ったとたんに「水密桃」は何かに変身するのである。「その蝶はもうその蝶ではない」というのと少し違う意味なのだが、対象を自分のものにした途端、ただ眺めていた時のものとは違ってくるのです。たった17音で言えている。
014 なやらひし鬼を小声で呼びとめる
鬼を追いだしたのに、別の感覚が残っていて、そっと呼びとめるのだ。「憎い訳ではないのだよ」とでも囁いたのであろうか。
065 配達人梅の家から出て来ない
不思議な句である。実はこの種の作品が柿本さんには多い。並べてみよう。
081 蛇は衣を遺して掌が寒い
手足のない蛇が、掌が寒いと感じている。面妖な世界へ引き込まれるような魅惑がある。
104 夕立あと奇麗な足が垂れてゐる
これもその類。「垂れている」が不思議。常識的なTPOではないのだ。
108 床下に穴は掘られて昼花火
これには参った。しかも「昼花火」だ。「詩」は理屈を駆逐する。
184 潜水艦の中の林檎が狙はれる
詩の焦点がずんずんと「林檎」に絞られていく。潜水艦の鉄の壁をも突き抜けて行くのだ。
229 骨片も手首も晴れて桜かな
「手首も晴れて」の身体感覚がなんとも妖しい魅力を醸し出す。
これらの句を読むとLSDを用いた「幻覚」の世界に入るような気がする(経験はないが)。用心しながら、恐る恐る鑑賞した。
柿本さんの作品は、オリジナリテイがあり、どこかで見た読んだ、という感じがしない。新鮮で自由で、俳句の枠を超えそうな、独特の詩が一杯である。
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