横山さんは名和未知男主宰の『草の花』の同人で、「草の花新人賞」「草の花賞」を貰っておられる。序文では名和主宰が、実に多くの佳句を挙げている。その通り、集中、一句目から最後の句まで、完成度たしかな句が並んでいる。自選句が帯に10句挙げられているが、小生はそのうち6句を戴いていた。この確率は、他の句集に較べて、格段に高い。
文學の森、令和四年九月二十八日発行。
自選十句は次の通り。
鳥笛を吹き立春の鳥を呼ぶ
白藤や奈良は佳き名の山ばかり
一の門二の門桜しべ降りぬ
山の子の木登り上手雲の峰
肥後守研ぐ少年に夏来たる
杉桶の箍あをあをと夏に入る
今朝秋の礁に光る忘れ潮
ふるさとの浦は弓なり盆の月
途中からしぐれて来たり渡月橋
北斎の富士に始まる初曆
小生の好みの句は次の通り。(*)印は右記の自選句と重なった句。
021 鳥笛を吹き立春の鳥を呼ぶ(*)
023 料峭や城址といふも空の堀
024 ひとりでに裏木戸の開く朧かな
026 雪解の羅漢に父をかさね見る
033 転ぶ子に日のぬくもりの草若葉
037 白藤や奈良は佳き名の山ばかり(*)
044 飽きるほど海を見て来て蓬餅
049 古雛男の子ばかりを生みし母
051 海おぼろ浮灯台の灯の揺らぎ
057 清明や花あたらしき花時計
061 山の子の木登り上手雲の峰(*)
065 雨あがる前の明るさ橡の花
072 教師来るぞと草笛の合図吹く
083 杉桶の箍あをあをと夏に入る(*)
086 草取女花ある草は残しおく
094 井の蓋の青竹匂ふ半夏生
109 牧牛のぬつと振り向く花野かな
113 鶏頭を突いてゆきぬ遅刻の子
113 木の実降る山の子はみな砦もち
123 ふるさとの浦は弓なり盆の月(*)
124 父の背を流しし日あり墓洗ふ
146 初霜や煮つけて魚の目の白し
163 途中からしぐれて来たり渡月橋(*)
167 寝溜めする妻よ勤労感謝の日
168 大和三山まづ畝傍より山眠る
169 渾名なき教師増えたり漱石忌
173 天使よりも天使らしき子クリスマス
185 雪国に色を加へて春着の子
好きな句から3句ほどを、わが身に引きつけて鑑賞したい。
049 古雛男の子ばかりを生みし母
横山さんのことは存じ上げないが、私は男ばかりの四人兄弟の末っ子に生まれた。母がいっていた「お前が女の子だったら・・・」。私自身もそうであったらよかったのに、と思ったものだった。80歳を超えた今でも、母の言葉は覚えている。だから、妙に印象に残る句なのである。
109 牧牛のぬつと振り向く花野かな
これは、国内の景であっても、もちろん良いのだが、私にとってはスイスの風景である。辺り一面、まさに花野。振りかった牛はカウベルをカランと鳴らすのである。
113 鶏頭を突いてゆきぬ遅刻の子
「遅刻の子」には何らかの理由があったのであろう。「突いた」花が「鶏頭」なのは「上手い」としか言いようがない。子の持っている「わだかまり」を、直接的な言葉を使わずに、読者に分からせるのに、「鶏頭」が効いている。俳句ならではの芸である。
自選句との重なりが多かった理由を考えて見る。上五中七を読んで、下五に何が来るかを予測するとき、横山句では、予想とピッタリの季語なり措辞が来るからなのである。納得させられるのである。結果として、読者は、平明で完成度が高い、と判断する。たとえば〈173 天使よりも天使らしき子クリスマス〉である。「クリスマス」が見事である。しかしながらちょっと考えよう。この句の下五に「クリスマス」以外の季語が来た場合、どうであろうか? 殆どが失敗するであろう。だが、わたくしの好みもあるが、ここに予想もしない季語が来て、それが成功したら、読む楽しみが何倍も大きくなるかもしれない。横山句のような端正な句を作れない小生のくやしさからの愚見であろうか・・・。
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