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池田澄子著『本当は逢いたし』



 池田さんの随筆集である。日本経済新聞社出版本部、2021年12月1日発行。60余篇からなる、池田さんの来し方、日常、俳句などにかかわる、軽やかな筆致のエッセイである。このほど読み終わったので、共感した部分、派生的に思い起こしたことなどを、思いつくまま書いておこう。


 池田さんは昭和11年のお生れだから、小生より2歳お齢上である。そのせいか時代背景的には同じような体験が多い。しかし、大きな違いは御父上が中国で戦病死されたことであろう。ただいま老境に入られ、つくづく若返りたいとお思いのようだ。だが、若い日に戻るのはしんどいので3年くらいなら若返りたい、とおっしゃる。全くその通りだ。私も若返りたいと思うけど、企業戦士だったころに戻るは御免だ。10年だと、東日本大震災があったし、あの悲しみは経験したくない。3年くらいがいい。  (「だからといって」より)


 このごろ自然災害が多発している。むかしはそんなになかったのでは、と池田さんは訝る。全くそう思う。しかも、ライブで映像付き、被害者数付きで放映されるから、むかしより一層リアルに感受してしまう。このままで行くと、人類は自然災害で滅んでしまうのではなかろうかと、私も心配する。だが、案外そうはならないのでは、と根拠なく楽観している。むかしだって結構災害があったはずだし、それを感覚的にスルーしてしまっていただけではなかろうか、と思いたがっている。脆弱性も随分違っていたから、などと楽に考えたがっている。                     (「なんとかしなきゃ」より)


 季語と季感のズレも話題にしておられる。西瓜は秋、朝顔も秋。オカシイ。でも「西瓜割り」は夏だと蜂谷一人さんの『ハイクロペディア』で知って、約束だからしょうがないと割り切っているのは、小生だけだろうか。             (「出来秋」より)


 災害の跡地に自然と芽を出すものがあって、ちいさな花を咲かせていることがある。原爆のあとでも、阪神淡路の震災や、東日本大震災のあとでもそうだった。池田さんはそこにもののいのちの生き返りを見ている。この記事で小生はピカソのゲルニカを思いだした。あの絵の中央最下部に一輪の草の花が描かれているのだ。感激して俳句に詠んだものです〈ゲルニカのただ一輪の帰り花〉って。お粗末でした。        (「もろもろ」から)


 お父さまを中国で亡くされた池田さんは、ある日お母さんに誘われて散歩に出た。お母さんは下の弟を負ぶって、川辺をどこまでもあるいた。池田さんは「ああ死ぬつもりなんだ」と思ったそうだ。怖くはなかった、とある。私の目頭が熱くなった。

                             (「うみのそこ」から)


 郵便局の仕事への信頼感を書いておられる。全く同感である。小生がフィリッピンやアルゼンチンで経験したことと比べると、日本の郵便局は全幅の信頼に値すると実感している。金融商品については知らないが・・・。           (「未練など〉より」)


 池田さんが雨女だとは知らなかった。小生は確率の問題だと思っている。こんなことをいうのは、ノリの悪い面白くない奴だと思われるだろうが、たまたま雨が続いただけで、長い目で見れば、雨女の後半生は晴女になると信じている。   (「言葉があって」より)


 池田さんの先生三橋敏雄は無季俳句を多く作ったが「無季の句を作ると古語の有難さが身に沁みる」と話されたそうで、よく分かる感じがする。   (「木の葉しぐれ」より)


 池田さんが写真家の荒木経惟氏と会った折に、スタッフがお二人の写真を撮ってくれた。荒木氏が言ったそうだ「自信持ってよ、折角何十年もかけて作ってきた皺なんだよ、大事にしなよ」と。                       (「思ってます」より)


 池田さんの父母褒めは気持ちがいい。左は父褒めの一句。

  佳い人ほど早く死ぬんですなんて素麺         (「夏になると」より)


「有楽町で逢いましょう」の歌が流行っていた頃のお話し。小生と年代がだいたい同じだから、同じような思い出がある。大学一年生だった。アルバイトで映画館のアイスクリーム売りをやった。フランク永井が札幌まで来ての特別講演であった。超満員。休み時間がかき入れ時。大混雑の客席を分け入るように、肩からのアイスボックス抱え、売りまくった。学生にしては良い収入になった。あの歌を何回となく「生で」聴いた。引っ越しの手伝いが昼飯付きで500円くらいだった時代。               (「春浅く」より)

 

 池田さんは句を推敲しているときが一番楽しいと書いておられる。小生も全く同じ。いろいろ推敲して、原形がなくなる。季語さえ変わってしまう。詠み込みの題が途中で消えてしまったりする。推敲無しで、一瞬に授かったような句にお目にかかりたいものだ。

                              (「秋の素足」より)


 池田さんは中城ふみ子の『乳房喪失』に息の詰まるような衝撃を受けた、と書かれている。私もそうだった。実は彼女は私と同じ町の出身。目抜き通りの大きな呉服屋さんのお嬢さんだった。だが、近所のおばさんたちからは、古い道徳観からか、あまり芳しい評価を受けていなかった。抜きんでる芸術家は多くはそうなのだろう。序文を川端康成に頼み込んだとか、術後、病院を訪ねて来た新聞記者との情事とか、エピソードが眩しかった。中井英夫が見出した歌人では寺山修司と中城ふみ子が双璧であろう。(「自分を見尽くす」より)


 谷川俊太郎に「池田さん」という苗字が出て来る詩があるそうです。澄子さんはその「池田さん」を自分のことの様に思うようにしたそうです。まあまあ幸せだという詩らしい。ところで、小生の来し方で記憶にのこる池田という苗字は妻の母方が「池田」。それ以外に池田総理大臣、小生の生まれた町から近い「池田町」。それに「池田屋騒動」くらいである。いや、中でも一番は澄子さんであろう。         (「夜中まで灯して」より)


 読後、爽快この上ないエッセイでした。ありがとうご座いました。

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