石田さんは、「木語」(山田みづえ主宰)で俳句を勉強し、一九九七年に、第一句集『秋の顔』で俳人協会新人賞を受賞された。その後、「椋」を創刊された。『万の花』は第四句集となる。二〇二四年九月十八日、ふらんす堂発行。
自選句の提示がないので、小生の共感句を掲げる。
022 螺子巻けば楽鳴り出すよ芽吹山
028 梅雨深しピアノの上に物積んで
031 桔梗の映りて黒き公用車
051 寝穢き人にも小鳥来てをりぬ
073 涼しさやボトルシップは帆をあげて
083 バス少し待つてくれたる春の雪
087 緑さすケーキに入るるナイフにも
095 冬桜ほどのにぎはひ山の茶屋
113 破案山子打たれ強くはなささうな
118 大榾をくべてこの頃海を見ず
123 懐に犬が貌出す梅見かな
130 夏の夜や照らせば鹿の目のあまた
131 うまくないけどとくださる真桑瓜
134 濯ぎもの金木犀の風に干す
135 摘みくれし秋草蟻をこぼしけり
145 芹摘んでをると応へし橋の下
148 かつて宮ありし容に春の木々
151 遅き日のふと立ち壁の絵をはづす
163 そこにゐるはずの人呼ぶ冬はじめ
168 聴き洩らすたびに初音と思ひたる
176 ほうたるを待つ横顔に加はりぬ
187 手を止めて妻恋ふ鹿の声といふ
190 泪夫藍や山羊が子どもの声で鳴き
193 木の葉降る音に驚くきのふけふ
石田さんといえば、秀句〈春の山たたいてここへ坐れよと〉を思い出すのだが、この句集にも、こころ安らぐ句が多い。あくまでも静かに、ふくよかな情感を醸し出す。小生などは、読者を驚かせようとして「力み」のある句を書くのだが、石田さんの言葉は、あくまでも自然に出て来る言葉である。たとえば、
163 そこにゐるはずの人呼ぶ冬はじめ
などは、さりげない日常のひとこまを詠んだだけなのだが、ほのかな情感を内包している。
情感だけではない。写生の目も確かである。たとえば、
148 かつて宮ありし容に春の木々
は、今はなくなったお宮が、いまでもそこにすっぽりと入るような空間を残し、木々が芽吹いている。その様をわずかなことばで表現している。
素敵な句集を有難う御座いました。
Comments