神野さんが、日本経済新聞の夕刊などに2018年から寄稿していたエッセイを集めたもので、文庫本版が2023年2月10日に、(株)文藝春秋から発行された。
神野さんは、良く知られているように、四国松山のお生れで、俳句甲子園を機に、活躍されておられる才媛である。なんといっても〈起立礼着席青葉風過ぎた〉を思い出す。
あれから大学を卒業し、働きながら大学院に通い、博士課程を修了し、家庭を持った。子どもさんが生まれた後は、それまでの俳句日常が一変し、育児の大変さを、身をもって体験した。慢性睡眠不足、押し寄せてくる雑事、シジフォスの岩だ。俳句どころではない。
そうは言いながら、我が子のいたずらに「詩」を感じ続ける紗希さんであった。
息子が箱からテイッシュを全部つまみ出してしまった。リビングの
床一面に大輪の白い花が咲いたようで、それはそれは奇麗だった。
とある(「季節を感じ取る力」より)。ヒステリックにならずに、
「奇麗だった」と、述懐する彼女に、私は感服している。
子どもが育つ環境は私の時代とは大違いである。紗希さんの二歳の息子さんはスマホで遊ぶそうだ。会話型AI「Siri」に「ママ」って呼びかけて「あなたのお母さんが誰か分かりません」と返答されてキャッキャと喜んでいた、とある(「えーえん、えーえん」より)。
子育ての楽しい時間ももちろんある。私の気に入った部分を引用しよう。
朝、となりで目覚めた二歳の息子が、枕に頬を載せたまま、「逢い
たかった?」と聞いてきた。なんだかとても永いこと、逢えなかった
みたいな言いぶりで。昨夜も一緒に寝たじゃないか。でも、よく考え
てみれば、自分が眠りについているときは意識がないのだから、どれ
だけ時間がたったかなんて、確かめようがないのだよなあ。
「うん、逢いたかったよ。いっぱい、いっぱい、逢いたかった」
そうほほ笑みかけると、本当に百年待っていたような気持ちになっ
た。彼は、私の目を見つめて、満足そうに笑った(「逢いたかった
よ」より)。
その息子さんも今年で八歳になり、小学校に通いだした。まもなく紗希さんも子育ての時期を終え、一日二十四時間、俳句の世界に浸ることが出来るようになろう。そのとき、これまでの時間がとても大切に、俳句にとっても、大切な時間であったことを思い出すであろう。
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