荻原さんは半世紀以上の句歴をもつベテラン作家。父荻原映雱に学びつつ、楸邨の「寒雷」に入っていたが、「天為」創刊時に移った。その後、荻原の「石蕗」を継承し主宰となっている。秋田県の芸術選奨をもらい、複数回の角川俳句賞候補にも推されている。既句集は三冊。師や仲間がいなかったら、俳句は一人では進められなかったと感謝し、その思いを句集名『至恩』とした。
二〇二四年一月二十三日、角川文化振興財団発行。
一読して完成度の高い作品が並んでいた。句柄からは、そこに作者の確乎たる俳句への信心があるかのごとく感じた。普段、小生は、どちらかというと、屈折の多い、謎を含んだ、多面的解釈が可能な、場合によっては、破綻寸前な俳句作品を楽しんでいるせいか、本書からは……これが俳句なんだ……と、再認識を迫られるような句集であった。
感銘した句を挙げておこう。
016 つくづくと飛騨は山国青胡桃
027 春雨や渡るに長き瀬田の橋
032 水差の蓋に蕗の葉夏点前
038 虫籠を提げて車両を移りけり
055 どの石のあたりか河鹿鳴きはじむ
062 余呉駅に下りしはひとり草の花
072 戻りたき家は死者にも夜の梅
076 囀りに誘はれてゐる籠の鳥
100 根開きや原生林の一樹づつ
110 泪よりすこし小さき白式部
126 夏の風象の匂ひのしてきたる
130 戒名をほめる親族菊なます
142 おほかたは一重瞼の内裏雛
158 頬紅を付けられてゐる雪だるま
170 石三つ組めばかまどや夏の虫
176 はやばやと夜の来てをり白障子
190 宇宙にも船長のをり夏の月
210 裏口はめつたに開けず梅雨に入る
212 沢音の育むものに青胡桃
223 小面の頬より白き鏡餅
231 鶴を折る指もて毛虫焼きにけり
236 水平に保ち竿燈運びけり
238 先端のささくれ始む鮭打棒
256 うぶすなの山に富士の名合歓の花
不思議なことに、著者の自選十二句(ここでは再掲を省略していませんが)と一つも重なっていない。著者と小生の嗜好のズレがあるのであろう。しかし、それは悪いことではない。俳句の評価の基準が、人によって微妙に違っているからに過ぎない。
とまれ、好きな句が沢山あった。イチオシを挙げておこう。
038 虫籠を提げて車両を移りけり
子供であろう。虫籠は当然カラではなく、捕ったばかりの虫が入っている。どんな虫なのかは書かれていない。その虫籠をもって車両を移った。理由は書かれていない。隣の車両に空席があったからなのか。友達を見つけたからだったのか。捕った虫を見せたかったからなのか。実はどうでも良いのだ。作者は、たまたま見た事を書いただけである。一回性の俳句である。見た事の意味や、ことの普遍性を、啓発的に書くのではなく、只事的にさらりと書いて読者に任せるのである。この類の作品は、この句集にはわりに少ない。だから、小生にはこの句が目立ったのであろう。
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