蜂谷一人(はつと)さんが『ハイクロペディア』を出された(本阿弥書店、令和三年十一月二十九日発行)。初心者句けの俳句のエンサイクロペディア(百科事典)である。一般に百科事典は読み物風ではない。しかしこの著は読物的であり、それぞれの項目に蜂谷さんの蘊蓄がエッセイ的に詰め込まれている。だから、無味乾燥な百科事典と違って、どの項目も面白く読める。
帯には「今さら人に聞けません」と記されており、十分に理解せぬままに初学時代を過ぎて来てしまった俳人にとっても(初心者に限らず)「ああそうだったのか」と思うことが多く書かれている。いくつか項目を選んで再掲しておこう。
かなづかい(仮名遣い)
仮名遣いには現代仮名遣い、通称現かなと、歴史的仮名遣い、通称旧かなの二種類があります(略)。実作者はどちらにするか悩むもの。私自身も悩んで、師匠の夏井いつきさんに相談したことがあります。夏井さんの答えは至ってシンプル。「内容に合わせて選べばよい」このアドバイスに従って、私は旧かなを用いることにしました。理由は俳句の切れ字です。や、かな、けり、を代表とする切字は俳句の重要な要素ですが、どれも文語です。文語と旧かなは相性がよく、切字を使う場合旧かなを選ぶ人が多いのです。
(略)現代の俳人たちは、文体、表記をどうしているでしょうか。池田澄子さんのような口語の俳人は現かなを使い、片山由美子さんのような文語派は旧かなを用いることが多いようです。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
さましゐて冷ましすぎたる葛湯かな 片山由美子
実は表記はこの二種類だけではありません。①口語現かな、②文語旧かなに加えて、③文語現かな、④口語旧かなの四種があります。作品を読むときそこにも注意して、それぞれの作者が選択した理由を考えて見て下さい。もしも池田さんが「じやんけんに負けて蛍に生まれけり」と文語旧かなで句を作っていたら、受ける印象は随分違っていたでしょう。
すいか(西瓜)
西瓜はいつの季語でしょう? 夏? 不正解。正しくは秋。では西瓜割りは? もちろん秋。不正解。正しくは夏。「西瓜」は植物の季語。一方「西瓜割り」は生活の季語。分類が違います。歳時記は、時候、天文、地理、生活、行事、動物の七つの項目に分類されています。(略)分類はかなりご都合主義的。理不尽といえば理不尽ですが、英文法のように覚えるしかありません。ローマ帝国の哲人皇帝マルクス・アウレリウスはこんな意味のことを言っています。「物事に腹を立てても仕方ない。ものごとのほうは我々の感情など知ったことではないのだから」。間違えない方法はたった一つ。その都度歳時記で確認することです。
風呂敷のうすくて西瓜まんまるし 右城暮石
西瓜割る東京湾に星上げて 蜂谷一人
に・も 助詞
助詞は地雷です。句会に登場する多くの句で助詞が安易に使われています。中でも場所を示す「に」と、類例を示す「も」は大変危険。先日の句会でこんな句がありました。
大寒もただゆるゆると神田川
いかがでしょう。「大寒も」の「も」が私には問題のように思われました。作者に「も」を使った理由を尋ねると、「大寒の日も他の日も神田川が遅く流れているよ」と言いたかったとのこと。「も、に私の言いたいことが凝縮しているんです」とおっしゃいます。でもちょっと待ってください。俳句ではそのものずばりを言い切ることが大切。類例をしめすのは損なやり方です。この句はむしろ、
大寒やただゆるゆると神田川
と素直に詠むべきなのです。では場所を示す「に」はどうでしょう。学校で文章の基本を5W1H「いつ どこで だれが なにを どんなふうに どうした」と習ったせいか、俳句でも〇〇に、と場所を特定したがる方が多いようです。しかし、この「に」、使うとニュース原稿のようになってしまいがち。つまり「報告」です。報告はビジネスの言葉。俳句は詩ですから報告調は似合いません。
安達太良に菊一本や光差す
同じ作者のこんな句も見かけました。やはり「に」が説明。せめて「安達太良の」としてほしいところです。もしも、あなたが「に・も」を俳句で使っていたら一度立ち止まって下さい。吟味してやはりこれしかないと思えばそれで結構。でも多くの場合、別のやりかたがあることに気づく筈です。ファインディグ・ニモ。
ふうてん
俳優・渥美清さんの俳号です。俳句を趣味にしていたことはあまり知られていませんが、撮影を抜け出して句会に出席したこともあるとか。
さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎
最も初期の作品のひとつ。句会に参加したメンバーが楽しみにしていたのが。渥美さんの声。朗々と句を読み上げる声を、惚れ惚れと聞いたそうです。渥美さんは、二二〇を超える俳句を世にのこしました。もっとも風天らしい句がこちら。
赤とんぼじっとしたまま明日どうする
Eテレの番組「歳時記食堂」でこの句を取り上げたとき、映画「男はつらいよ」でマドンナを演じたかたせ梨乃さんが、こうおっしゃっていました。「自分がすごく迷っているような。どうしようもできないな、だれも助けてくれないような。なんかひとりなんだなっていう感じがすごいする」と。観客を楽しませてくれた渥美さんは、決して私生活を明かさない人でした。秘められた渥美さんの素顔。それがこの一句なのです。
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余談を少し。実は小生ある新春句会で、蜂谷さんとご一緒したことがある。その時の小生の句が蜂谷さんの特選にあたり、記念品を戴いた。それが上掲の絵手紙風の作品(亀がひっくり返っている絵)であり、今も小生の仕事部屋に飾ってある。蜂谷さんは絵をたしなむなど多能な方で、この本の表紙も挿絵もご自身のもの。個展も開催されており、小生も三度ほど見せていただいたことがある。
この書に戻ってひとこと。小生の家内は『ハイクロペディア』魅せられて、早々に読破したようだ。
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