西池さんが『臼田亞浪の百句』を上梓された(2022年12月24日、ふらんす堂)。副題が「寂しさの旅人」である。
亞浪の句をゆっくりと読むのは初めてである。河東碧梧桐—大須賀乙字に繋がり、虚子とももちろん交流があった亜浪だが、「石楠花」を興し、3000にも及ぶ門下生を育てたにしては、露出度は余り高くない。それは、虚子でも碧梧桐でもない第三の方顔を指向したためであったろうか。
私の記憶では、弟子に大野林火→大串章がいたはずである。そのせいか、私には亞浪俳句はけっこう抒情的であると感じた。
西池さんは亞浪の俳句活動を、①「石楠花」創刊時代 ②俳句には「まこと」が必要ととなえた時代 ③句集『旅人』にあるような「旅」の時代 ④『白道』の時代 そしてその後の時代 と分けて解説を書いている。
私には、写生を基本にした抒情俳句が脈々と今に連なっているように受け止めた。
百句の中から私の好きな句を抽いて見た。
016 打水や砂に滲みゆく樹々の影
018 冬木中一本道を通りけり
034 足袋裏を向け合うて炉の親子かな
038 石蹴りの筋引いてやる暖かき
044 木曽路ゆく我れも旅人散る木の葉
060 すがりゐて草と枯れゆく冬の蠅
064 月原や我が影を吹く風の音
068 霧よ包め包めひとりは淋しきぞ
070 雪の中声あげゆくは我子かな
080 今日も暮るる吹雪の底の大日輪
082 かつこうや何処までゆかば人に逢はむ
084 かたまつて金魚の暮るる秋の雨
086 山霧に蛍きりきり吹かれけり
092 漕ぎ出でて遠き心や虫の声
094 ふるさとは山路がかりに秋の暮
108 山蛙けけらけけらと夜が移る
148 淡雪や妻がゐぬ日の蒸し鰈
178 災民の子らのジープを追ふ寒し
188 妻死んで虫の音しげくなりし夜ぞ
192 羽子ひびく焦土に遠く日は懸り
200 石楠花のまざまざと夢滅びぬる
202 白れむの的皪と我が朝は来ぬ
西池さんが指摘するように、亞浪俳句の特徴であるリフレインが、この時代(大正)からこんなに使われていたことを知って驚いた。「まこと」はリアリズムと通底するという意見にも納得である。戦時中は一般国民と同様、聖戦を信じていたことも、共感できる。また、季語をゆったりと、季重なりも季違いも気にせずに俳句を作っていることに、むしろこれが本当の姿だと感じ入った。
臼田亞浪論を有難う御座いました。
Comments