豊里氏が句集『ういるす籠り』を出された(沖縄書房、2021年10月31日発行)。アンソロジー『新撰21』を別にして、第四句集に当るであろか。氏は写真家でもあり、沖縄の日常を多くの写真集にまとめている。
今から10年前、筆者は「俳句界」に新鋭俳人を取材する連載を書いていたが、そのお客さんのお一人が豊里氏であった。沖縄まで行って取材したことが懐かしい。その時の記事の最後に筆者はこう書いていた。
苦悩する真面目な青年である。俳句や写真について、話したいことがたくさんあり、次から次へと言葉が出てくる。それは豊里俳句が饒舌であることに通じているのだが、そこには、どこかでかならず「沖縄」に繋がっているものがある。前衛的で社会性俳句的であって、実は、将来もそうなのだろうか(?)と思って取材したのだった。話していくうちに、開眼・脱皮を心がけている様がよく理解できた。それには、地元の仲間や「海程」の先輩の刺激と兜太主宰の一言々々が働いていることを知った。沖縄という遠隔の地にあって、やはり俳句は人と人の接触の上で成長してゆくものだと・・・いや、離れている土地であるがゆえに、そこへ伝えられてくる言葉が彼に大きく響くのだと知らされた。多行表記やカタカナ表記など、先に何があるか判然としない手法にも挑戦する豊里氏に、まだまだ落ち着く先を探す旅が続くのであろう。
今でもその時の印象を覚えている。それは、「修行中の青年僧のイメージ」であった。
句集『ういるす籠り』の中で筆者が共感した句は次の通り。
008 黙殺の島に慣れてく蟬しぐれ
010 街じゅうが海原ショーウィンドーの水着
010 紅型の唐獅子(シーサー)のマスクが御洒落だね
011 ういるすの画像は太陽がいっぱい
012 溺愛の島は海蛇(イラブー)の指笛よ
017 座布団も飛ばない無観客席よ
023 山蟹の山を動かす気配かな
045 君が代を歌う僕ら丸太ん棒
062 初夢も夢の続きを走っている
090 まだ呻く形を遺す灼けた瓶
099 骨として石を葬るうりずん南風(べー)
103 密約の核が浮き彫り春の雷
105 国境線いらない蒲公英の綿毛
108 切手貼る航海の帆を点すよう
題材に現下の「ウイルス」が取り上げられているが、主体は、やはり沖縄の重い歴史を受け継ぐものであった。つまり、沖縄の風土を社会性俳句的に詠んだものである。その意味で句意は明瞭なのだが、中には筆者の理解がその真意に届かないものもあった。
052 半分はキャベツ炒めのオペラかな
074 葉桜の因数分解の空よ
などである。また次の二句は具体的な「モノ」で沖縄の悲しみを詠い、そこに抗議の意思を籠めた。筆者に大きく響いた作品である。
090 まだ呻く形を遺す灼けた瓶
099 骨として石を葬るうりずん南風(べー)
また、中から個人的な好みで挙げたいのが次の二句であろうか。その明るさに惹かれた。
010 街じゅうが海原ショーウインドーの水着
108 切手貼る航海の帆を点すよう
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