ふらんす堂の百句シリーズ。2023年1月10日発行。
尾崎紅葉の俳句を、村山古郷は「初期の談林調からやがて正風、あるいは日本派流に近づいた」といっているが、高山はそうではなくて「談林まがいの破調句も、一見すると日本派と見分けがつかないような描写型の句も、月並調のようなひねりを利かせた句も、同時多発的に生み出しながら螺旋状に進んでいた」のが尾崎紅葉の俳句だという。
私にとっての興味は、おなじふらんす堂の百句シリーズにある『臼田亜浪の百句』同様、子規・虚子の流れにない俳人達の作品がどう解説されているかに興味があった。その裏には、現代の俳人たちの師系図を見ると、全てがといって良いほど子規・虚子につながっており、まさに「子規・虚子門にあらざれば俳人に非ず」の感がある。それで良いのだろうかという素朴な疑問があったからである。
高山は当然、子規と紅葉の関係に触れている。紅葉の旅の記(読売新聞)を見て「羨マシイノ妬マシイノ」と子規が書いていることを挙げ、二人の間には悪感情さえあったようだ、と書いている。すでに病臥していた子規にとっては、さもありなんとは思う。
早熟だった紅葉は、東大法学部から文学部を経て中退。在学中から小説を書き、読売新聞に入っていた。子規はまだ大学にも入らず、新聞「日本」に入り、『獺祭書屋俳話』を出すまでは売れていなかった。名声は紅葉がはるかに上だった。
紅葉と子規は同年生まれであった(漱石、露伴らも)。子規は明治34年に35歳寸前に亡くなり、紅葉はもっと長生きしたと私は思っていたのだが、意外にも同年に35歳で亡くなった。
子規の俳句改革は良く知られているが、紅葉も、俳句改革の意思を持っていた、と山下一海は書いている。だが、やや踏み込み過ぎた記述だろう、と高山は考えている。
高山の紅葉評は「談林俳諧とはほとんど無関係である。紅葉は子規の写生の方法ともかかわりなく、個人の主体的な強い表出力を生かすことによって俳句の近代化をはかったのである」と見ている。
さて、俳句作品に移ろう。
004 わが痩(やせ)も目やすきほどぞ初袷
没年の作で前書きに「体量十貫目」とある。37,5キロなので、成人男性としては異常に痩せている。胃がんであった。「俺の痩せ具合も見た目にいい感じじゃないか」という句である。百句の冒頭にこの句を挙げた高山の狙いが凄い。
008 死なば秋露のひぬ間ぞ面白き
辞世の句。古典を踏んだ作らしいが、朝顔の露が乾かない朝のうちに死ぬのが良い、という意味である。
018 陽炎や傾城(けいせい)の嘘は巧(たくみ)にて
23歳のころの作。女物を書かせたら一流の作家だった紅葉にふさわしい句。紅葉の句はほとんどが人事句であって叙景句は少ない。
028 乳(ちち)捨(す)てに出れば朧の月夜かな
26歳。「長子弓之助を喪ひて」の前書きあり。生まれたが5日後に夭折した長男。無用になった母乳を棄てに行く情景。
034 腸(はらわた)の能(よ)くも腐らぬ暑(あつさ)かな
面白い句であるが、私には月並調にみえる。子規の日本派に対するアンチテーゼのような句。
044 星食ひに揚るきほひや夕雲雀
雲雀が揚るのは星を食いにいくためだという、大袈裟な見立てを良しとするかどうか。私は陳腐かと思ったのだが、夏石番矢は褒めていたらしい。
064 南天の実のゆんらりゆらりと鳥の起(た)つ
初出は〈南天の実のゆんらりと鳥の起(た)つ〉であったそうだ。五七五でよめるが、推敲句では七八五。私の好みは「と」を取って、七七五が宜しいかと愚考している。
080 混沌として元日の暮れにけり
初出は〈元日の混沌として暮れにけり〉であったそうだ。推敲句の方が「混沌」が強調される、と岸本尚毅が評したとか。同感である。一度発表してもあくなき推敲を重ねる姿勢に感銘。癌が進んだ状況下にあっても……。
090 天の川地に提灯の一つ行く
景はよく見える。情を抑えた句。何故か小生の胸奥に残る句でもある。
102 うつくしき妻驕り居る火燵かな
高山の解説では、紅葉は、実際はひどい亭主関白であったので、この句はフィクションかと思っているようだ。ともかく、自分の妻を「うつくしい」と書くのは、やはり小説家の性が出ているように、小生には思える。
120 鮓(すし)などに漬けまほしくも昼の妓(ぎ)の風情
字余りに挑戦するほどに大切なモチーフの句なのであろう・・・か?
126 星既(すで)に秋の眼(まなこ)を開きけり
120の句と比べるのは良くないのだろうが、こちらの方が小生は好きである。明治の時代ながら、すでに「西洋詩風」と評されていたようだ。
134 江戸川や浮木に涼むはだか虫
恩田侑布子の句集『はだかむし』を思い出した。「はだか虫」は人間を指す。
150 鮎看るべく流れ聴くべく渓の石
修善寺温泉。墨客としても著名だった紅葉は、宿に入ると揮毫を迫られるらしい。新井旅館にも出向いたらしい。小生にも懐かしい旅館だ。数多くの墨客の書画が展示されてあった。
182 夏瘦もせずに繭煮る女哉
生糸生産地の夏の作業場。高温と悪臭。女工哀史を思い出す。過酷な環境にも平然たる肉体の存在感を打ち出したところに近代の切れ味があるし、エロチックでもある、との高山評。当時、そんな分類はなかったが、いわゆる社会性俳句ではないか!
190 紅(もみ)裏(うら)の春待兼(まちか)ねて燃ゆる哉
艶っぽい句。
196 泣いて行くウエルテルに逢ふ朧かな
時代はゲーテ流行であったという。
高山れおなの解説により、子規・虚子の系列にない俳人尾崎紅葉の句業を俯瞰することができた。有難う御座いました。
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