著者鈴木しげを氏は、昭和三十九年に「鶴」に入会、爾来、石田波郷・石塚友二・星野麥丘人に師事。平成二十五年に「鶴」主宰を継承した。その第六句集で、二〇二四年五月二十一日、ふらんす堂発行。
自選十五句は次の通り。
初山のこゑのひよどり矢継早
芹の香や日々のあかしの友二の句
旅にして青葉の雨やブックカフェ
手の窪にのせて糸底涼新た
一茶忌の草鞋日和と言ひつべし
筆に腰さうめんに腰秋はじめ
柿むいて柿の日などもありてよし
日脚伸ぶ駅の広場にケーナの音
田螺鳴く利息が二円付いてをり
一の字に反りて鰰焼かれけり
武蔵野のすつ飛び雲や唐辛子
膝打つてさて策もなし秋扇
夫婦して訪ふ泉あり風鶴忌
七十も終りの九の初景色
観音の湖北へこころ草の花
一読して、平明で、熟達で、いぶし銀のようでありながら、ユーモラスな作品が多い句集である、と感心した。著名な先師たちを慕う句も多い。境涯的ではなく、概して明るい。小生の好きな句を掲げよう。多きに及んだ。
009 三畳のわれの城あり雛の家
012 シャツの袖折れば五月の来りけり
014 山清水庵結んでみたかりき
024 全国鍛錬会 青森
小鳥来るあすはひのきとなる木かな
026 とんぶりや「ぼるが」はいまも酒場にて
036 千早振るかるた取られてしまひけり
037 葡萄榾くべては星を語りけり
038 ティファニーの箱の中より花の種
046 乗鞍の風の冷たき花野かな
051 只管は歩くことなり柿の秋
063 班雪村山猫軒のあるやうな
066 花眼なりまして涅槃図冥ければ
071 やや暑しやや忙しくしてをりぬ
072 風吹いてかるの子の列たわみけり
076 物を書くうしろがひろし秋の昼
076 跳ねてゐる蝗の袋持たさるる
077 柚餅子など焙りて聴かむ山の音
090 松過やみづのあふみのすずめ焼
097 緑さす封書の緘の麥の文字
099 肥薩嘉例川駅にて
竹皮の駅弁うれし山若葉
111 柿むいて柿の日などもありてよし(*)
120 日脚伸ぶ駅の広場にケーナの音(*)
132 糧うどん打つてをりけり柿若葉
156 さつきとは違ふ子猫のあらはれし
163 いつも未完の澁谷の街の秋暑かな
182 春眠の足りて何処ゆくあてもなし
183 ともかくも机に膝や目借時
197 新米の袋立てある框かな
209 道ふさぎ来る猪打の五六人
214 水草生ふ歩かねば句も授からず
215 つばくらめ今は名のみの潮見坂
223 珈琲にざらめ一匙終戦日
230 扇置くやうに小三治逝きしかな
特に気を惹かれた二句を挙げてみよう。
038 ティファニーの箱の中より花の種
ティファニーのあの薄青い小函。なにか記念のものが入っていたに違いない。何だったのだろか? 読者は勝手に想像する。いまはその小函が種入れになっている。何の花の種だろうか? これも読者の想像に委ねられている。情緒の勝った句と言えようか。
066 花眼なりまして涅槃図冥ければ
先の洋ものに対しこれは和もの。作者はこのところ老眼になってきたらしい。薄暗いところでは難渋する。涅槃図も、それ自体が薄暗い絵である上に、薄暗いところに掛けてある。それに対し「花眼」という、字面からは明るい感じの言葉が効果を発しているように思う。理知の勝った句といえようか。
楽しい句集を有難う御座いました。
Comments