高木晶子さんは結社「京鹿子」の人。昭和46年に加入されておられるから、もう50年になる。ずっと鈴鹿野風呂記念館の図書管理の仕事を続けられており、京鹿子新賞や野風呂賞を貰っている。この句集は第二句集で、東京四季出版が令和4年4月15日に発行した。序文は鈴鹿呂仁主宰。
はじめに、個人的になるが、高木さんと小生の関わりを書いておきたい。小生が『京大俳句会と東大俳句会』(角川書店、平成23年)を書くに際して、「翔臨」の竹中宏さんに随分とお世話になった。その時、竹中さんから、同じく京大俳句会におられてた髙木智さんをご紹介いただき、野風呂記念館や糺の森の近くのご自宅にお邪魔して、いろいろお話を伺った。その縁から、その後、京都を訪れる度に、智氏が手掛けた「折紙展」や下鴨神社を観たり、大原三千院などに連れて行って戴いたりしたものである。そのご縁で今回『とり乱す』をお送り戴いたのであった。
今、小生の手元に『京鹿子1000号記念誌』がある。476頁におよぶ大型の豪華本で、平成20年5月2日、東京四季出版発行である。「京鹿子」は、初期には日野草城・山口誓子・長谷川素逝らもおり、虚子を師と仰ぎながら、鈴鹿野風呂・丸山海道・豊田豊峰と続いた巨大な結社であった。そして、今は四目代の鈴鹿呂仁に引き継がれている。
その結社の一員である高木さんのこの句集を心して読ませて戴いた。
自選12句は次の通り。
昨日との間のやうな麻のれん
テーブルと椅子の間隔春立ちぬ
射干を活け侮れぬ奥座敷
盆終る畳の上を水の音
疑へば渋柿となる裏鬼門
お見舞に兜太のやうな柘榴来る
爪楊枝一本を抜く二月かな
うす紙をはがし尽くせば吾亦紅
新米に梅干し一つ進化せず
線引きのまだこちら側よもぎ餅
新生姜月水金と予定あり
苺パフェ似合はぬ席にしばし居る
小生の共感句は次の通り。(*)印は自選句と重なった。
017 利休忌や月日を略す石畳
018 昨日との間のやうな麻のれん(*)
020 残り香の代わりに紅葉置いてをく
021 涼しさや赦免の舟のごとく去る
032 角帯のすつと前行く鉾あかり
045 人日の着慣れたるもの柔らかし
046 添へ書きを思ひ止まり寒見舞
055 蕎麦の花逃げも隠れも出来る丈
057 衿足に山気降りくる一の午
059 頭上より塩の降りくる鉾囃子
061 遠回りして友達のやうな桃
062 三流の一流である鍋の湯気
073 火のやうな昔を包み着膨れる
078 さす指が鉄砲となる喪正月
084 うす紙をはがし尽くせば吾亦紅(*)
090 厄落し等身大の鬼と遭う
105 終戦日どこにも合はぬ鍵の束
109 春風にわが顔かたちとり乱す
112 箸紙に香魚の一句歌枕
114 この年になれば干柿みな笑ふ
120 お囃子の間合ひで運ぶ鱧料理
134 新米に梅干一つ進化せず(*)
143 それぞれに心当りの雷ひびく
149 人肌を添へて今年も雛まつる
153 蝸牛お前もどこか壊れたか
一読して、京都を感じさせる句が多い。しかし、単なる客観写生や花鳥諷詠ではなく、心奥を詠んだ句が多く、草城や素逝の味までをも感じながら、小生の気に入った句の幾つかを鑑賞したいと思う。
045 人日の着慣れたるもの柔らかし
三が日は形にあったなりふりで過ごすが、人日あたりから普段のくだけた生活に戻る。着物も着慣れたものとなる。あたり前の普段の生活の宜しさを詠んだ。着慣れたものは、平寧さに繋がり、それを「柔らかし」と表現した。
073 火のやうな昔を包み着膨れる
「火のやうな昔」とは、若いころは多感でかつ情熱型だったことを言うのであろう。いまは年相応に老いて、着膨れているが、それを悔いていると読むか、それとも是認していると読むか、読者によって違うのかも知れないが、小生は後者であろうと読んだ。
078 さす指が鉄砲となる喪正月
下五の「喪正月」が難しい。事情がありそうだ。遺影を指さしているのだろうか。それがいつしか指銃(ゆびづつ)となるのだ。亡くなった人に対する複雑な思いか、かるい怨みがあるのか、とにかく屈折した心理が詠まれている。語り始めれば一冊の私小説になりそう。これは、少し深読みであったろうか。
109 春風にわが顔かたちとり乱す
分かりそうで、なかなか分からない。女性に特有な心理なのであろうか。「とり乱す」特別な事由があったのであろうか。この謎が何となく艶っぽく、奥の深さを感じさせる。この句集の題となった句なので、高木さんには意味深長な句なのであろう。
134 新米に梅干一つ進化せず(*)
これは明快。物事は流転しても、いつも変わらぬものがある。自分の日常の生活も変わらず、物事の見方に対する基本姿勢も変わっていない。「進化せず」を肯定的に読み取るべきであると思う。敢えて言えば、守旧派で良いのである。「新米」と「梅干」で、実生活とともに哲学をも語り得るのである。
143 それぞれに心当りの雷ひびく
この句は、109よりは少しわかり易い。雷が鳴るのを聞いていて、「ああ、あの時はこうだったなあ」などと回想に耽るのである。人それぞれの「心当り」があるのである。このように、高木さんの作品には、心の奥を想像させるものが多い。
この句集は、小生にいろいろなことを思い出させてくれました。
有難う御座いました。
Comments