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髙田正子著『黒田杏子の俳句』




 五百頁をゆうに超える大著で、これに年譜を添えればまさに「黒田杏子ハンドブック」完成である。「黒田杏子百科事典」と呼んでもいいかも知れない。黒田の俳句作品をあまねく集めてある。それだけでなく、主要な季語に係わる作品群には、師の山口青邨や、他の俳人の著名な作品をも紹介し、ところどころに黒田自身のエッセイを引用し、奥行きを深めている。

 大変な労作である。令和四年八月十日、深夜叢書社発行。


 「はじめに」の部分で髙田は、

  この冬の名残の葱をきざみけり    杏子

に大いなる感動をもらったとあり、さらに、杏子がこの十五年前(昭和五十二年)に詠んだ

  白葱のひかりの棒をいま刻む     杏子

を引いて、従って「この冬の」の句は、杏子の十五年の歳月が詠ませた「名残の葱」だと思うに至った、と書いている。そうして髙田は、杏子の既刊(序数)句集から葱の句をすべて抜き出した。さらに、この十五年後(平成二十二年)の

  とほき日の葱の一句の底びかり    杏子

を見つけ、「ひかりの棒」から十五年経って「名残の葱」となり、三十年たって、「とほき日の葱」となり、それは今も「底びかり」しているのだ、と結んでいる。

 さらに考察は山口青邨の「葱」の句にもおよび、

  老妻の忘れし如く葱埋けて      青邨

など九句を論じている。

 これは「はじめに」の部分だけの抄録である。該著の中身は詳細にわたり、実に丁寧な記述となっている。


第一章 黒田杏子の十二か月

この章は、一月から十二月まで、月別に、季語ごとに、杏子の作品をまとめ、紹介している。月別の主なる季語をまず挙げておこう。

一月  初日(十一句)、初明り、初茜、初富士、初句会、初観音、初空、初夢、初寝覚、

    初雀、読初、仕事始、稽古始、俎始、漉始、初詣、初座敷、初曆、初市、初荷、初 

    旅、初寅、初晦日、新年、去年今年、一月、元日、二日、二日灸、三日、お降、四 

    日、五日、六日、七種、松の内、松過、松納、鳥総松、飾、橙飾る、削掛、熨斗、

    餅花、羽子板、歌留多、春着、雑煮、年の餅、屠蘇、かまくら、年賀、女礼者、年

    玉

 そして、それぞれに該当句を挙げている。「初日」については、十一句も挙げられているので、特に明記しておいた。

 ここで小生の特に興味を惹いたのは、「初日」の中の一句で、

  ガンジスに身を沈めたる初日かな  杏子

であり、そこに添えられたエッセイであった。「人々はつぎつぎ河に身を投じる。サリーのまま、裸身となって。その余波がボートにおし寄せる。自分がどこにいるのか分からなくなった」とある。

二月  辛夷、蕗の薹、片栗の花(片栗の花のおしたしのことが書かれていて驚いた)、

    藤、薊、木五倍子の花、茎立、草青む、紫雲英、山茱萸、樒の花、諸葛菜、菫、節

    分草、蒲公英、椿、菜の花、貝母の花、繁縷、母子草、三椏の花、雪割草

  かたかごの雨に跼めば男老ゆ    杏子

 この句の男は杏子の夫黒田勝男氏である。写真家で、小生も一度お会いしたことがある。

三月  雛(序数句集に三十六、吉徳ひな祭関係で百十一句)

 雛に関する句が圧倒的に多い。驚きである。中から一句。

  桃の日の母に送りし昔菓子     杏子

 「昔菓子」が良かった。

 他者の雛の句も掲げられている。中から一句。

  仕る手に笛もなし古雛      松本たかし

 当然、桜も三月であろうが、これは第二章で丁寧に論じられるので、後日取り上げよう。

四月  霞(句集になし)、朧(句集に十八句)、亀鳴く、狐火

 杏子の句集に「霞」がないのは意外であった。「朧」は多い。余談だが、「霞」は日中のこと、「朧」は夜である。

  おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ  楸邨

  天金の書の閉ざさるるおぼろかな    杏子

五月  牡丹(句集に二十三句、ほか「藍生」に九句)、

 青邨に再入門したころ「牡丹」に出会いなおしたという。須賀川などを吟行している。太陽が昇る一時間前に園内に入るのだ、とエッセイにある。色々なものに凝り性だった杏子の思いが伝わってくる。

六月  螢(句集に七十六句、ほか四十句ほど、句帳には八十三句ほど、多い)

 左の句は四万十まで行って詠んだ句の中の一句。興が湧くとどこへでも飛んでゆく杏子だが、螢を見に四万十まで行くのは流石である。

  漕ぎいづる螢散華のただ中に      杏子

挨拶  六月の次に忌日句に係わる節が挿入されている。交際範囲の広い杏子だから、句の数も対象者の数も半端ではない。師の青邨への一句。

  寒牡丹大往生のあしたかな       杏子

七月  涼し(句集に二十八句)、青梅、青柿、青胡椒、青山椒、青桃、青柚、青蘆、青

    鷺、青薄、草青む、草餅、草摘む、青葉、青葉木菟、青嵐、青葉冷、青時雨、緑   

    陰、青梅雨、青螢、あをあをと、あをき、まみどり、みどり、松の緑摘む

  どの子にも涼しく風の吹く日かな    龍太

  地下鉄を涼しと思ひ浅草へ       青邨

  母とならねば祖母とはならず涼し    杏子

八月  八月(句集に八句)、盆の月(同十三句)、花火(十八句)、

  盆の月樺美智子の母のこと       杏子

 花火については、先達の句を引いている。私の好きな句があったので再掲する。

  その次のすこし淋しき花火かな    山田弘子

  ねむりても旅の花火の胸にひらく   大野林火

  またの世は旅の花火師命懸      佐藤鬼房

 そして杏子句から

  遠花火若狭の闇に手を垂らす      杏子

  遠花火子なく母あり天のあり      杏子

九月  虫(三十八句)、鉦叩、天牛、邯鄲、蟋蟀、青蝗、蟷螂、蚯蚓鳴く、秋蚕、蓑虫

 杏子は鉦叩が好きだったらしい。青邨には蟋蟀の句が二十七句もあるそうだ。

  こほろぎの本のかげよりおなじ顔    青邨

  まつくらな那須野ケ原の鉦叩      杏子

 二句目は、杏子の疎開の地でもあったので懐かしいのであろう。父を亡くして、この句を詠んだ、とある。杏子にとって。螢は兄だが、鉦叩は父だという。さらに、邯鄲は母である。

    秋草、花野、枯野(冬ではあるが)、返り花(同上)、仙翁花、薄、曼殊沙華、狗

    尾草、女郎花、男郎花、蚊帳吊草、刈萱、桔梗、葛、鶏頭、月見草、露草、釣船

    草、撫子、萩、葉鶏頭、風船葛、藤袴、水引の花、木槿、吾亦紅

  吾亦紅水の信濃のふかさかな      杏子

十月  稲妻(句集に二十三句)、木の実、榧の実、銀杏(実)、栃の実、柿、干柿、熟

    柿、柚子、草の実、新米、大根(冬ではあるが)、秋茄子、通草、朝顔の実、いち

    じく、芋、蕪、南瓜、烏瓜、榠樝の実、石榴、茸、銀杏、栗、胡麻刈る、皀角子、

    樝子の実、数珠玉、酢橘、西瓜、大豆、唐辛子、梨、蓮の実、ひよんの笛、風船

    葛、佛手柑、ぽんかん、たんかん、いよかん、糸瓜、菩提子、木天蓼、無患子、紫

    式部、零余子、桃、竜の玉(冬)、林檎、蓮根(冬)

 稲妻の句は杏子・青邨双方に多い。

  遠稲妻遠き戦の如くにも        青邨

  いなづまや石ことごとく微笑佛     杏子

十一月  小春、山茶花、茶の花、石蕗の花、柊の花、水仙、枯葦、枯菊、枯蓮、寒椿、寒

     蘭、冬柏、冬菊、冬草、冬桜、冬菫、冬の花蕨、冬薔薇、冬紅葉

  小春日やりんりんと鳴る耳環欲し    杏子

 この句、出戻り新参の杏子が「夏草」の地方大会で青邨特選に輝いた。「私ははじめて(自分に出会う)機会に恵まれ、涙が止まらなかった」とエッセイにある。

  ひひらぎの花母在さば百一歳      杏子

  母棲んで柊咲ける木戸ひとつ     草間時彦

十二月  十二月、師走、極月、賀状書く、暦売り、日記買ふ、古日記、年用意、年末賞 

     与、年忘,納の句座、寒牡丹、蝋八会、冬至、柚子湯、蕪村忌、数へ日、煤払、 

     小晦日、大晦日、年の湯、除夜、年越、年取、年の暮、ゆく年、年惜しむ、都鳥

  尼の荷のまことにちさき十二月     杏子

 あまとは瀬戸内寂聴のこと。印度に出かける旅の荷であるそうだ。

  戰爭の句も忘るるな年忘        杏子

  都鳥かの世この世の川湊        杏子

  都鳥ある日こちらも飛んでをり     青邨


 さて第二章の 黒田杏子の〈櫻〉 以降は次回に纏めよう。


 とにかく髙田正子さんの丹念な仕事ぶりにはただ感嘆あるのみである。

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