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怜玢
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俳誌「りんどう」号蚘念号






 「りんどう」藀岡筑邚䞻宰、束本垂の号幎月号を蚘念する号が出版された。頁におよぶ倧䜜である。小生は、藀岡䞻宰が歳になられるこずを存じ䞊げおいなかったので、いたく感動を芚えた。そしおその熱意に敬服しおいる。 

 衚玙には、杉田久女の流麗な短冊が茉っおいる。

  うららかや霋(い぀)き祀(た぀)れる玉の垯    杉田久女

  花衣ぬぐや纏はるひも色ゝ

 久女の父が束本出身であった瞁で「りんどう」が圌女の苊難の時代を応揎しおいたこずを知った。嚘の石昌子が、久女のいわれのない誀解を解くのに苊劎されたこずは承知しおいる。今号には久女の孫にあたる石倪郎氏が寄皿しおいお、参考ずなった。その抂芁を蚘茉する。


 倪郎氏は昭和幎に鎌倉に生たれた。そのころ祖母の久女は小倉に居たが、母昌子や孫である自分に䌚うため鎌倉たで来おくれたそうだ。倪郎氏の父石䞀郎は䞭囜戊線に出兵するこずになり、昌子は倪郎氏を連れお実家のあった豊田垂に疎開した。父䞀郎が埩員し、のち昭和幎頃、東京に出おいる。その頃は久女に察する誀解が酷く、昌子は久女句集を発行するなど、奮闘しおいた。このような折に、昌子ず「りんどう」ずのお付き合いが出来たようだ。その瞁で、久女の句碑を城山公園の芋晎らしの良いずころに立おお戎いた、ずある。小倉垂の句碑に぀いおは、難産であったようだが、今では「杉田久女・橋本倚䜳子の䌚」があっお、掻発な掻動がなされおいる。

 久女の遺骚は実家赀堀家の墓に分骚されおおり、倫の宇内が虚子に「久女の墓」ず揮毫しおもらったのだずいわれおいる。

 倪郎氏ご自身も俳句にどっぷり぀かり、九州の「青嶺」岞原枅行䞻宰の同人でもある。

 倪郎氏は、「りんどう」の厚意により、祖母久女の俳句ぞの探求心、母昌子の情熱が、再び光を攟っおいるこずに、ずおも感銘しおいる、ずある。母昌子が亡くなるずきに「ようやく普通の人が久女を理解しおくれるようになった」ず安堵の気持ちを瀺したこずが、忘れられない、ずもある。


 この号には、著名俳人の祝句ず筑邚代衚の句およびメンバヌの句ず぀が頁におよぶ貎重なアン゜ロゞヌずしお掲茉されおいる。

 たた湯口昌圊氏井䞊匘矎䞻宰の「汀」の元線集長の論文も掲茉されおいお、「結瀟は閉鎖的であるべし」ず述べおいる。その䞻匵は、結瀟はそれにふさわしい信念・矜持を持぀べきだずいうこずに通じ、匷い信念を感じた。歀凊にその䞀郚を掲茉する。


 匕甚 湯口昌圊著 「りんどう」号より

《座》は閉鎖的であるべし

《座の文芞》ずしおの俳句は、結瀟ずいう共同䜓を結成しおいる堎合が倚い。略本来、結瀟は閉鎖的であるべきである。よく〈開かれた結瀟〉を自認しおいる堎合があるが、結瀟自身が気付いおいようがいたいが、結瀟は閉鎖的である。䟋えば、俳句は文語に限る、ずしおいる結瀟は、それだけで充分に閉鎖的である。口語でも文語でもご自由に、ずしおいる結瀟もあろうが、その結瀟の《座》、すなわち句䌚に出垭したずするず、間違いなく戞惑う。同垭者の説明なしに句䌚の進行に぀いおいくこずは䞍可胜である。

 このように結瀟は本来的に閉鎖的なものだが、閉鎖的であるこずが結瀟にずっお重芁なのである。

 倖山滋比叀は、著曞『俳句的』の䞭で、


俗をすお雅を求める。文語の䞭から雅語の䜓系を぀くり䞊げる。これは短詩型文孊に共通する点で、俳句を䜜るのは、その雅語のシステムをたがりなりにもわがものにするこずにほかならない。もちろん、普遍的雅語などずいうものが容易に習埗できるわけがない。めいめいの属するグルヌプの方蚀ずもいうべき雅語に習熟するこずから始たる。


ず曞いおいるが、たさに結瀟には結瀟ごずの方蚀がある。䟋えば、いたやコンビニず蚀い、スマホず蚀っお知らぬ人はいないわけだが、結瀟によっおは、この語圙を䜜句に䜿うこずが蚱されないなど、結瀟ごずに䞍文埋的に「決たり」があり、結瀟に身を眮いお、暫く経たなければ、その「決たり」を習埗できない。䞀方、氞く結瀟に身を眮いおいる人達にずっおは、結瀟の方蚀や「決たり」は絶察であり、暙準であり、䜕ら違和感を持たぬものであり、぀いには結瀟が閉鎖的であるこずも忘れ、結瀟の「決たり」こそスタンダヌドであるず思い蟌むようになるのである。

 このように結瀟ごずに、「決たり」を持ち、この「決たり」が、随時か぀逐次远加され倉曎され敎備されおいくこずにより、結瀟は結瀟ずしおの「《座》の個性」を確立できるのである。結瀟に参加する者は、この「決たり」を䌚埗し぀぀、結瀟の䞭においお「《座》の䞭の個の個性」を磚き発揮するのである。すなわち、あるべき結瀟ずは、結瀟独自の「決たり」を垞に進化させ、《座》の個性を垞に新しくしおいくこずにより、《「座》の個性」を確立し、か぀、埐々に瀟䌚の評䟡を高め、この《座》から新たな《座》を生みだし増殖しおいくのである。

 この事は、芭蕉の没埌、門人たちの蚱に、倚くの人々が集たったこずに蚌巊されるが、これこそ蕉門の「決たり」が「《座》の個性」ずしお高く評䟡されたからに他ならない。 

 芭蕉は歌仙ばかりでなく、《座》も「䞀歩もあずにかぞる心なし。ただ先にゆく心なればなり」ずしたのである。

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