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怜玢
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土屋秀倫句集『鳥の緯床』




 


土屋さんは「山河」山本敏倖代衚・束井囜倮名誉代衚の同人。平成幎床の山河賞を受けおおられる。俳句は小沢昭䞀俳号倉哲の「氎酔䌚」、早皲田の「西北の森」などで研鑜を積んでこられた。『鳥の緯床』は氏の第䞀句集幎月日、山河叢曞・青磁瀟発行である。


 自遞句は次の句。


  蝶生る闇にハサミを入れる時

  癜地図の癜い山脈鳥垰る

  蒲公英はすべおの颚に名を付ける

  刺青もピアスも春の愁かな

  倧阪の黒鯛泥臭く叀兞奜き

  蠅ず居お芋お芋ぬふりの䞊手くなり

  おごそかな距離に䞊んで冷奎

  魂のずころが苊い干し鰯

  矎しき数列氷柱に芯はない

  折皺の通りに畳む初あかり


 小生が共感した䜜品は次の通り倚数に及んだ。印は自遞ず重なったもの。


 平成二十四幎十二月十日 倉哲逝く

    折皺の通りに畳む初あかり

 蓬逅千幎前のひざたくら

 刺青もピアスも春の愁かな

 秋暑しビゞネスホテルにある聖曞

 鳥垰る鳥に祖囜は二぀ある

 あの䞖ずの波打ち際に桜貝

 濡れ衣を着せお圢代流しけり

 どちらからも行ける暙識春の川

 誰か来お花替えおあり墓掗う

 立っお眠る鶎を芋おおり䞍眠症

 母の日のどうずもずれる笑顔かな

 倧勢にたじっおひずり卒業す

 さわり぀぀さわられおいる春の氎

 新生姜䜕か思い出しかけおいる

 ささくれたこずばを鞣す春の雚

 省略のできないものに猫の恋

 涌しさや背でドアを開けナヌスくる

 遠吠えの様に干されお癜いシャツ

 涌しさや手抜き加枛のよい芞颚

 月光の柱で猫が爪を研ぐ

 戊争をがたんしおいる冬苺

 煮凝の底に正座の䞀家族

 颚船を぀なぎ自由を軜くする

 差氎を忘れ銀河を吹きこがす

 ため息を鞚哥が真䌌る倧暑かな

 浜昌顔殺そうず思った人はもういない

 生たれ来る子の名を氎に曞く蜻蛉


 党䜓的に分かり易い蚀葉で、しかし、句意はナニヌクで芖点が独特である。いく぀かを鑑賞しよう。


 刺青もピアスも春の愁かな

 自遞句ず重なったもの。刺青もピアスも肉䜓に傷を぀けるので、日本人には違和感があるようだ。だが、倚くの倖囜人は抵抗なく受け入れおいる。文化が違うので䞀抂には蚀えないが、若い時に耳に穎を開けたり、肌に消せない暡様を入れたりするのは、幎ずっおものの芋方が確立したずき、悔悟の念に捉われないのだろうか・・・ず心配になる。父母から受け継いだ肉䜓に傷を぀けるのは・・・などず叀い芳念を持ち出すのではなく、単玔に、若い時の䟡倀芳がそのたた䞍倉だず信じる根拠を持たない者の杞憂を「春の愁い」ず蚀ったのであろう。「春の」は若い時のずいう意味に思えた。同感の䞀句。


 濡れ衣を着せお圢代流しけり

 自分の身代わりに流す「圢代」に「濡れ衣」を着せた、ずいうのは面癜い。䜕か誀解を受けお悩んでいたのであろうか。圢代が氎に濡れるこずからの発想なのかもしれないが、深局心理に觊れるようで、意倖に重い句である。


 ささくれたこずばを鞣す春の雚

 冬は䞇物が涞れ也燥が進む。蚀葉もささくれる。それを「春の雚」が「鞣す」のだず蚀った。感芚的によく分かる。この句集には〈 さわり぀぀さわられおいる春の氎〉のように、「春の氎」や「春の雚」の質感を詠んだ句がある。玍埗である。長谷川櫂の〈春の氎ずは濡れおゐるみづのこず〉を思いだす。


 涌しさや手抜き加枛のよい芞颚

 「手抜き加枛のよい芞颚」ずはよくいえた。名人芞ずもなるず、熟達した緩やかな動きや間合いが、あたかも「手抜き」のように芋えるこずがあるが、芞の極臎なのである。むかしバレヌの「ドン・キ・ホヌテ」を芳たこずがある。若い螊子たちの機敏な動きの䞭で、䞻圹の幎配のダンサヌが、ワンテンポずれお緩やかで、それはそれは実に芋事な舞螏であった。


 戊争をがたんしおいる冬苺

 この句は幟぀かの「読み」を誘う。いずれも凄いこずをいっおいる。「冬苺」は配合であっお、苺が「戊争をがたんしおいる」蚳ではない。二物衝撃の句ずしお読んだ。実はこの句集に二物衝撃の句はあたり倚くない。それだけに印象的であった。戊争を始めたいずりズりズしおいるのだが、かろうじお我慢しおいる。人間ずはそういう存圚なのだ、ずいう読み。もう䞀぀は、どこかで今も戊争が起こっおいる。私たちはそれが過ぎ去るのをじっず我慢しおいるのだ、ずいう読み。いずれにしおも「冬苺」は平和の暗喩。


 浜昌顔殺そうず思った人はもういない

 この句にも驚かされた。長い人生。殺そうずたでは思わなくおも、嫌いな人間もいたであろう。時は流れ、䜕もしないうちにその人たちはいなくなっおいた。でも、だから今は平穏でハッピヌだ、などずいう句ではない。なんずは無しに無気力感を感じさせる句である。読みは「浜昌顔」で巊右される。砂地に這うように沢山咲いおいる玠朎な花。これが「向日葵や」だったら読みは違っおくる。


 楜したせお戎きたした。倚謝です。

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