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戸恒東人句集(1)―春月自註句集シリージⅠ



 「春月」主宰の戸恒さんの自註句集(雙峰書房、2022年4月1日発行)で、24歳から53歳までの作品から選んである。氏が大蔵省に入省し、退職直後までの300句である。国内の旅吟以外に海外詠も数多く、その広範で濃密な経験が詠み込まれている。


 小生の好みの句を、失礼ながら、幾つか紹介させて戴きます。


003 落柿舎に柿訪ふ客となりにけり     昭和45年

 氏は、大阪勤務の際、京都、奈良などを頻繁に訪ねた。小生も嵯峨野を歩いて、何度か落柿舎や去来の小さな墓を訪ねたことがある。確かに柿の木があった。同じ場所が詠まれた他者の句から、読者は自分に引きつけて思い出を湧きたたせる。庭には筧があったなあ、とか・・・。


007 古城かな銀杏落葉の嵩に嵩       昭和60年

 自註によるとハイデルベルク城とある。小生にとってはブローニュの森の落葉の景に繋がる。落葉の嵩は半端ではないのだ。小生が「落葉を漕いできた」といったら大げさだと笑われた。


013 ぬばたまの夜に父の咳母の声      昭和63年

 病の父が、深夜、咳をする。すぐにそれをいたわる母の声も聞こえる。母の父に対する思いがこの「声」から聴きとれる。それだけでなく、作者の父母に対する情愛も聴きとれるのである。


016 迎火や足に馴染まぬ父の下駄      平成元年

 亡くなった父の下駄。親が使っていたものは、たいていが子の感覚に合わない。普通のことなのだが、それが寂しくも懐かしくもある。


040 ここよりは各駅停車花大根       平成5年

 都心からの帰りはたいてい急行に乗る。我が家に近くなると急行はすでに各駅停車になっていて、混んでいた車内も乗客がまばらになる。田園風景じみた「花大根」がいい。


058 無事のみを伝へし電話息白し      平成7年

 氏が関西勤務の際、阪神淡路大震災に遭遇した。のちの東日本大震災の時もそうだったが、携帯電話は繋がらず、公衆電話のみが頼みの綱だった。列に並んで掛けたものだった。神戸の地震は一月十七日の早朝だったから、寒かったのである。


059 割烹着の内は正装久女の忌       平成7年

 茶会の水屋か宴会のお手伝いさんの景。「久女の忌」が出色。きりりとしていたであろう久女を思う。お手伝いさんも、この日、きびきびと動いていた。


072 角立ててたたむ手拭ひ寒稽古      平成8年

 剣道の剣士が頭に巻いた手拭を折り目正しくたたみ直す景は、たしかに水際立って美しい。よく見ていると感心した。


079 片陰や布掛けて売る小鳥籠       平成8年

 中国では道端で、虫売りとか小鳥売りがいて、商っている。日本ではないと思ったら、やはり自註に瀋陽とあり、納得した。


090 桃咲いて蛇笏の国の水迅し       平成9年

 山梨県の四月は桃の花盛り。飯田家ではないが、一宮を訪れたときの桃の畑の花が素晴らしかった。〈空が一枚桃の花桃の花 廣瀬直人〉


108 春眠に貌というものなかりけり     平成10年

 眠りこけている顔をみると「むじなへん」の「貌」ではないという。おだやかな「顔」なのである。納得。


110 日本の桜がここを通り抜け       平成10年

 氏の勤務先は造幣局。かの有名な「通り抜け」がある。氏はここのトップだったので、日本中の桜守たる自負がある。〈桜守といふは吾がこと通り抜け〉がこの句の次にある。


129 貰ひ風呂せり大寒の日の神戸      平成11年

 よく分かる。東日本大震災の際も、数週間ぶりに風呂に入った人の話を聞いたことがある。さぞや名湯であったことであろう。


140 青梅雨の吉野は水の音ばかり      平成11年

 桜か紅葉の時期以外の吉野を見たことがないので、私には珍しい。そういえば水分神社などもあることを思い出した。夏や冬の吉野の美しさも如何ばかりか?


 自分の身に引きつけて、楽しく読ませて戴いた。誤読をお許しください。


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