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杉原青二句集『ヒヤシンス』





 杉原さんは兵庫県庁勤めの傍ら句会「亞流里(あるさと)」で俳句を始められたのが平成二十二年。句集『ヒヤシンス』は第一句集で、句集名は、初期の作〈理科室の光歪めるヒヤシンス〉からとられた(令和三年九月九日、俳句アトラス発行)。なかなかに写生的な句である。ところが、句集中の多くの作品は、才知溢れるエスプリやイロニーの効いた心象の句が多い。序文は句会の代表中村猛虎氏が、杉原氏の人物像を見事に紹介している。跋には、俳句アトラスの林誠二氏が、この句集の優れたところと、ユニークな点とを解説している。


 自選句は次の12句。


  遊べよとばかりに引きし彼岸潮

  三代のふぐりを見たる扇風機

  蛇泳ぐ川面にエノラ・ゲイの影

  蛍火か骨片かもうわからない

  月読の陰に蛍が棲んでゐた

  沢蟹を怒らせてゐる男かな

  母逝きぬ金魚のごとく化粧して

  包丁を入れても笑ふ鯰かな

  万緑の山へ指呼する転轍手

  鷹柱熊野古道は海に入る

  妻帰る雪の匂ひをつけてきて

  沼涸れて地下に帝国あるごとし


 小生の選んだ句は次の通り。自選句とは重なっていない。このことは、写生をベースに俳句を書いて来た小生の好みのせいであって、氏の責任ではない。

 氏の作品には想念や観念で書かれたものが多く、私小説的な味もある。句材の広さ多彩さはなみ大抵ではない。その点で、多くのことを教えられた。

 幾つかの作品を鑑賞してみたい。


013 底紅やマダムはいまも韓の籍

146 海鳴や韓の女と股火鉢

 これらの句から長編私小説が書けそうである。一句目はこの句集の冒頭の句。句集を性格づける大切な一句である。一般の句集なら(私の場合でも)、同じ第一頁の二句目、

013 和菓子屋のガラス戸軽き小春かな

を冒頭に置くのではなかろうかと思った。その方が無難なのである。だが、氏はそうはしなかった。そこに作者の強い意思を感じる。

 いっぽうで、この句から疑問が興ることもある。特に写生派にとっての疑問である。何故、彼女が韓国のご婦人で、しかも、いまもって籍もそのままだと、作者は知ったのだろうか、あるいは、すでに知っていたのだろうか、ということである。写生に重きを置く俳人なら、「韓」の替りに目に見える「チョゴリマ」か何か「モノ」で表現したであろう。そうしない理由は、作者にとって彼女の国籍も籍を変えないことも、その事情をも、すでに熟知していたからであろう。このような事例がこの句集に沢山ある。したがって、小生は、この句集は、そのような方針の句集なのだ、と思い直して読んで行く必要を感じた。それは、この句集の特徴であり、決して欠点ではない。

 もちろん、この件、「底紅=木槿」が韓国の国花であることに想いが至れば、「韓」が出て来る必然性はよく分かる。


017 F1のスリップ痕や夏に入る

 この句には感心している。スリップの黒い痕がはっきりと読者に見えるのである。しかも、「スリップ痕」を詠んだ句は、小生は寡聞にして知らない。背景や予備知識なしに味わえる佳句だと、私は思った。


026 辣韭の音高らかに老いたまふ

 この句も聴覚的なリアリテイがある。「辣韭」をシャリシャリと噛む音から、健康そうなご老人の姿まで目に見えるのである。このご老人に関する予備知識はなくても、この句の宜しさが伝わってくる。


054 身のうちに獣道あり冬旱

 これは一転して想念・感覚の句。「身のうちの獣道」が単なる観念に留まらないで「冬旱」という季語によって概念にまで育ったように思えるのである。


090 中一の兄が来てゐる運動会

 これも私小説的な一句。第三者にとっては、その人が兄であることも、ましてや中一であることも知らされていない。013の「韓」と同様、写生派の俳人ならば「中学生の学帽をかぶった人」を縮めて、この句の中に入れる工夫をするはずである。でも、こうして「中一の兄」の作品を見せられると、なんと言葉の効率の良い遣い方をしているものよ、と感心させられる。


068 ラフランス自由はどこかいびつなる

 これは「想念」と「モノ」がしっかりと相補いつつ、「想念」以上のレベルのいわゆる「概念」を示す一句をなした。


085 指先で風になりけり天道虫

 写生派が喜ぶ一句。氏は簡単にこういう一句をも詠むのである。


096 沖合に空母来てをり海鼠桶

「空母」と「海鼠桶」の二物配合。作為がどうどうと成功している。


098 射貫きてもなほ射る構へ弓始

 矢を放ったあとも「残心」といって、射手は、不動のまま、しばし心を鎮める。見事な描写である。


 ほかに、小生の心に残った作品を掲げます。


059 トルソーの肩呼吸する熱帯夜

062 大地震まづ戻りたる蟬の声

067 耳もとへ賞状を読む敬老日

093 ねんねこの子もお辞儀する富士見坂

102 遠足の列を横切る鹿の群

107 捕虫網もらひて教授退官す

128 落椿ふいに足首つかまれる

153 銑鉄の臭ふ工場白つつじ

155 分厚さがうれしき夏の時刻表

157 積み上げしボートを燃やす白夜かな

166 新聞のチラシ分厚し開戦日

171 霊柩車行きて日傘を開く音

176 駅ビルのエアロビクスや三島の忌


 ありがとうございました。

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