ドウマゴ文学賞など多くの賞を貰っておられる恩田さんは、あらためてご紹介するまでもないであろう。その第五句集である(角川文化振興財団、二〇二二年一一月七日発行)。
一読して、私には「感性」と「知性」の折り合いが見事な句集と思えて感じ入った。『はだかむし』なる題名は『大戴礼記』によるらしく、人間は毛も羽も甲羅も鱗もないはだかんぼうの虫、という意味である。
自選十二句は次の通り。
咲きみちて天のたゆたふさくらかな
仙薬は梅干一つ芽吹山
雲根のみなもといづこ夕涼み
眠りとは天蚕の透きとほるまで
生きて死ぬ素手素足なり雲の峰
口紅をさして迎火焚きにゆく
母とふ字永久に傾き秋の海
山茶花や天の眞名井へ散りやまず
引くほどに空繰り出しぬ枯かづら
淡交をあの世この世に年暮るゝ
磨る墨ににじむ緋のいろ冬牡丹
初富士や大空に雪はらひつゝ
小生の感銘句は次の通り。(*)印は自選句と重なった句であった。予見なしに四句も重なったことは嬉しいことである。
007 蕾んではひらく空あり夏つばめ
008 濡れ縁やほたるの闇に足を垂れ
019 わだつみへかをりさらはれ水仙花
021 影ひとつくださいといふ雪女
026 毛氈の緋の底なしやひゝなの夜
027 ゆびさきは月のにほひの雛かな
035 咲きみちて天のたゆたふさくらかな(*)
043 母てふ字永久に傾き秋の海(*)
045 小春日の海たれかれの死後の景
049 青空に突つかい棒のなき寒さ
051 淡交をあの世この世に年暮るゝ(*)
052 初あかり幸(さいはひ)小(ち)さきこそ佳けれ
052 御降りに音のなきこと駿河湾
057 梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらゝ
072 花かぼちやもう厄年のなき女
075 口紅をさして迎火焚きにゆく(*)
081 茶の花のやうに語らひたき人よ
090 橙の鎮座にはちと小さき餅
096 肩の荷は重きがよろし麦の秋
111 初富士に抱かるゝあらひざらひかな
114 きみのゐるそこが正面秋の富士
115 遠富士を胸に薫(た)きしめ冬に入る
122 身のうちに炎(ほむら)立つこゑ寒牡丹
131 形代へ吹く息けもの臭きかな
138 天人に声ありとせば白桔梗
148 いまも追ひゆく青芒分けし背な
179 萩すゝき良寛の書は風はらみ
184 万年筆まはして仕舞ふ冬はじめ
198 悼・芳賀徹先生 二〇二〇年二月二〇日
草芳し「死んだらそこらへんにゐる」
206 死んでから好きになる父母合歓の花
好きな句を抽いていったら、こんなに多数となった。
とまれ、小生はこのところ、とみにただごと的俳句に惹かれている。恩田俳句は深遠なメッセージ性のある句が多いのだが、中に左のような句を見つけると、こころが安まるのでした。
184 万年筆まはして仕舞ふ冬はじめ
小生が読み切れなかっただけで、恩田さんには深い意味がある作品であったのかもしれない。だが小生にとっては、なにも言わないこのような句に、何とはなしに親しみが湧く、そんなこの頃なのである。
だが、もっと意味の深い句を一つ鑑賞させて戴こう。
206 死んでから好きになる父母合歓の花
個人的なことで申し訳ないが、猛烈な企業戦士だったころに、父も母も亡くなった。慌ただしく、世間一般に則った儀礼を済ませたあとは、また忙しさにかまけていた。それから三十年、時間と心の余裕ができたせいか、つくづく昔を思い出す。決まって父と母がそこに居る。必ずしも「好き」という感覚だけではないが、巷間言われる通り、孝行をしようと思ったときは、もう親はいないのである。あまりにも当り前なことで、そこに文学性があるかどうかは疑がわしいのだが、誰にも思い当るという意味で、普遍性のある句ではなかろうか。
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