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寺町志津子句集『春は曙』




 寺町さんは広島の家庭裁判所でのお仕事を通じて俳句と出会い、平成18年に金子兜太の「海程」に入会、26年に同人、兜太没後は後継誌「海原」に入会された。

お生れは旧満州の大連で昭和21年に引き揚げられた。ご苦労のほどが想像できる(この句集の序文をお書きになられた「海原」代表の安西篤さんもそうだと知ったし、小生が取材し『昭和・平成を詠んで』を書いた際の俳人協会会長大串章さんも引揚者であられる)。

この句集、最終章は「広島忌」の連作60句からなる。寺町さんが広島に住まわれた経験がそうさせたようで、この句集の大きな特徴でもある。

 2022年1月18日、朔出版発行。


 自選十二句は次の通り。


  春はあけぼのツートントーンとお腹の子

  淡海なり昔透蚕のようにかな

  蛙鳴(あめい)やむ超新星より波動

  花は葉に妖怪のよう女偏

  はんざきやいつも後からくる怒り

  まだ誰のものにも非ず虹の脚

  神仏渾然とあり田水湧く

  人間と書く八月の太き文字

  秋暑し五臓六腑を言うてみる

  九月尽まだ見つからぬ接続詞

  なかんずく素数の海の雪明り

  手袋が落ちてる家庭裁判所


 小生の共鳴句は次の通り。(*)印は自選と重なったもの。


017 保育器に初蝶のごとき嬰よ生きよ

028  終戦後の引揚げ船「興安丸」船上

    日本だ佐世保の丘に麦の青

029 去る者は追わぬ矜持や鳥雲に

030 菜の花や老年老い難く愉快

040 逃水や知らん顔てふやさしさも

041 起承転まで面白きしゃぼん玉

042 八十歳なんて嘘でしょ木瓜の花

お42 ぼちぼちでよろしゅうおすえ葱坊主

043 春惜しむ曇りガラスのよう望郷

049 初夏のキリン艶めく横坐り

056 はんざきやいつも後ろからくる怒り(*)

061 まだ誰のものにも非ず虹の脚(*)

068 幾度も癒えて羅日和かな

068 晩節やたとえば合歓の花ならん

070 間諜のごとくに揚羽来て去りぬ

073 正座して鮎の骨取るいごっそう

088 シンプルイズベスト冬瓜煮ている

089 押しなべて丸きお尻や花野道

099 遠き日の夢の痂破蓮

106 ライバルの三人いる幸ななかまど

115 真実はいつも後から冬の雷

119 冬銀河地球もどきの星幾つ

123 冬座敷わたしにものをいう人形

127 越前の朱塗りの淑気の立ち上がる

139 やわらかな拒絶水仙首折れて

141 白鳥の来て絵となりぬ田一枚

147 死してなお子を抱く母や原爆忌

150 壁に罅蛇口一列原爆忌

152 ふと影の無き人通る原爆忌

158 ぽつぽつと石語りだすヒロシマ忌

161 ヒロシマに生きて八月六日かな

169 八月の空汚すなよ子らがいる

171 赤ヘルと歩みし平和ヒロシマ忌

174 人間と書く八月の太き文字(*)


 この句集の特徴は、最終章の作品がすべて「広島忌」およびその関連句であることにあろう。原爆の後の悲惨さを目のあたりにした作者の平和を願う気持ちは強い。

もう一つの特徴は、句の素材の確からしさ(敢えていえば見立ての「不易」さ)と、それを表現するレトリックの現代性にあろう。このことは少し説明が要るだろう。たとえば、〈017 保育器に初蝶のごとき嬰よ生きよ〉で説明すれば、保育器の中の新生児が初蝶のようだという見立ては普遍性があり、今も昔も変わらぬ点で「不易」といってよいであろう。それを一句にするのに、定型を少し壊して表現することで印象深く仕上げている。そこに小生は現代俳句たる現代性を感じた訳である。もう一つ〈056 はんざきやいつも後ろからくる怒り〉で説明すれば、怒りが後ろから来るというのは不易であり、それを、定型をずらして印象深く表現した。考えて見れば〈はんざきやいつも怒りは後ろから 改作〉とすれば定型に収まる。だが寺町句のようなねばっこさが失われる。このことは〈115 真実はいつも後(あと)から冬の雷〉の句が、纏まりが良すぎるのと同じである。つまり、017や056は、作者が「海程」「海原」という恵まれた現代俳句系の結社に所属しているからこその恩寵であるといえよう。


 小生が選んだ共感句を少し鑑賞しよう。


028  終戦後の引揚げ船「興安丸」船上

    日本だ佐世保の丘に麦の青

 引揚げ者にとって、故国が見え始めたときの感激は多分一生忘れないであろう。満州での苦労が大きかったがゆえに、なおさらである。引揚げとは比べようもないが、出張先の中国から帰国する際の小生の経験では、船ではないが、飛行機で中国を発ち、広大な茶色の土漠をしばらく飛んだあと、日本海へ出た瞬間、青い海が目に優しく飛び込んでくる。やがて島が見える。これがまったき緑なのだ。日本が如何に緑濃く水の豊かな国であったか、と感激する。かの地でご苦労された寺町さんにとっては、尚更の「麦の青」なのである。上五の「日本だ」も如何にも新しい俳句の表現で見事。


030 菜の花や老年老い難く愉快

 「少年老い易く」をひっくり返した。少年は成長=変化が早い。つまり老い易い。一方で、老人はもうあまり変わりようが無いから、老い難い。この句は言い得ている。しかも下五の納め方の「愉快」はまったく愉快! 


049 初夏のキリン艶めく横坐り

 まじめでやや知的な作品が多くある中に、このような粋な句に遭遇すると嬉しくなる。作者の句域の広さを感じる。


068 幾度も癒えて羅日和かな

 作者ご自身のこととして読んだ。ご病気もされたのであろう。しかも幾度となく。その度に癒えた。多くの方々の句集には老病生死の句が実に多い。この句集には少ない。喜ばしいことである。しかもこの句、妙に境涯じみていなくて、さらりと書かれている。きちんと定型に収め、一見ふるびた「かな」を用いて見事に言い切った。


070 間諜のごとくに揚羽来て去りぬ

 ふらふらとやってきた「揚羽蝶」を「間諜」と見立てた俳人はいただろうか。作者の感受の自由さと、それを表現する言葉の選び方に羨望すら感じる。


089 押しなべて丸きお尻や花野道

 これにも驚いた。といってもけっして読者に違和感を持たせず、そうだそうだと思わせてくれて、微笑ましさを感じる。花野道に丸い尻を詠んだ句を小生は知らない。


161 ヒロシマに生きて八月六日かな

 「八月六日」を重く受け取っている方の俳句である。我々にとって「八月六日」は単なる季語を超えているのではなかろうか。


注記

満州から引き上げられた大串章さんについての『昭和・平成を詠んで』にご興味がおありの方は、書肆アルスにお問い合わせください(03―6659―8852)。

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