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井口時男著『金子兜太―俳句を生きた表現者』


 以前利用させて戴いていたブログの運営会社が都合で業務を停止した。それで小生の既掲載案件が全部消されてしまった。友人から、幾つかのブログを再掲して欲しいとの要請があり、今回、この井口さんの兜太論の紹介文を、まずお目にかけたいと思った。

 以下がその内容である。



 黒田杏子主宰の「藍生」令和3年5月号で知って、該著を精読した。最近まれに、最後まで興味を持って読了した俳書である(令和3年1月30日、藤原書店発行)。 


 井口氏は俳句にも詳しいが業俳人ではない。文学一般に詳しい評論家であり、もちろん、金子兜太とは深い接点を持っていた人物でもある。その井口氏が、兜太の生涯を俯瞰し、その変遷を、社会一般の動きを交えながら論じている。なまじ俳句一筋の評論家でない分、見方が実に自由で説得力がある。

 兜太の生涯を、①社会性俳句時代、②前衛俳句運動時代、そして③晩年までの「還相」(げんそう)の時代に分けて、詳述している。「還相」という言葉は宗教用語であり、仏が真理の悟達に向けて修行する過程を「往相」というのに対し、悟達した仏が衆生済度のためにもどってくる過程を「還相」と呼ぶようだ。別の言葉でいえば、俳句で最後に得たものを大衆に施すまでに高まった姿といえようか。

 現代の俳句の歴史の中の兜太について語るとき、兜太の中の関心事は、私の理解では、故郷秩父、戦争のトラック島、日銀の冷や飯、社会性俳句、前衛俳句運動、そして晩年の大衆化と移ってきたように思っていた。しかし、一般に、最後の「大衆化」につぃては、指摘はあったものの、あまり強く認識されて来なかったように思う。前半生の兜太の存在が、私にとってあまりにも大きかったから、そう思うのかも知れない。この井口の書を読み、最後の「還相」の期間が、ずいぶんと長期間(1970年代後半から)であり、しかもそれが兜太の最重要な部分であるということを、あらためて強く認識させられた。

 兜太の後半生の句は、社会性とか前衛とか造形とかの範囲を超えた、いや、それらを否定したような句が多い、というのである。「還相」への移行は、兜太が山頭火を学び、一茶を研究した影響が大きいらしい。兜太を「野」の人だと定義し、人間の本姓に係わる糞尿譚を熱く披歴する著者井口の語り口には興味が尽きない。


 著書の中で私が「目から鱗」だと思った箇所は沢山ある。それらに触れながら、該著の一端を紹介したい。


 フェミニストが兜太の原点

 兜太は秩父に生れたが、母はるは、封建的大家族の中で小姑たちにいびられながら、耐えてきた。その母への愛が「フェミニスト兜太」の原点である、と井口は捉えている。井口氏が兜太をフェミニストだと断定したことも、私には興味が持てた。104歳の長寿を全うした母を詠んだ兜太の句は多い。中から一句。

  長寿の母うんこのようにわれを産みぬ

 思えば、この句は社会性俳句にも前衛俳句に分類されまい。


 非業の死者たちへの遺言執行人―社会性俳句へ

 凄惨なトラック島を引き上げるとき、兜太が心に決めたことは、理不尽な死を遂げた死者たちの叫びに対する応答責任であった。それはおのずと兜太を社会性俳句の方向へと進すまさせた。

  水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る

 ここで井口氏が書いていることを再録しておこう。

  ……たいていの大物俳人たちは、社会どころか戦争遂行権力そのものに「翼賛」する俳句を作っていたのであり、戦後は忘れたふりをして口を拭っているだけなのだ……

 それに比べ兜太は、秩父の貧しい人たちのため、戦争には勝ちたかった。だから最前線を志望したのだった。だが戦後は、理不尽に死なねばならなかった人たちのため、反戦を誓い、発言し続けたのであった。当然、社会性俳句志向なのである。


 何が前衛俳句へ進まさせたのか

 社会性俳句はメッセージ性を大切に大衆的伝達性へと傾きがちである。その結果、文学性や表現性がないがしろにされやすい。では、文学の立場を守りつつ、社会性と文学性を両立させることは不可能なのだろうか。井口氏はこう書いている。

 ……俳句という短詩型では、表現性を高めれば伝達性は低くなる。つまり「難解」になる。その「難解」をあえて引き受け、強引に押し切るだけの俳句の力をいかに獲得するか。その模索が「造形俳句」として理論的にも完成したとき、「前衛」兜太が誕生する……

  そして兜太は、迫力あるイメージを作り出すために比喩、とりわけ暗喩の機能を重視した。暗喩は兜太俳句が「描写」から「表現」へと離陸するための中心手法だった、と井口氏はいう。超現実的イメージまでも積極的に取り入れたのであった。

   梅咲いて庭中に青鮫が来ている

 

  イロニーを知らない兜太?

 「イロニー」あるいは「アイロニー」とは、ただ単に「皮肉」と訳してはいけない、重要な文学用語であるようだ。それを論じた分厚い論文もある。俳句のひとつのテーマでもある。だが、イロニーの意味は、私の言葉でいえば「引かれ者の小唄」に近いのではなかろうか。とまれ、井口氏は次の句をイロニーの籠った句として挙げている。三鬼は社会通念に対して斜に構えて広島を詠んだ、という。

   広島や卵食ふとき口ひらく    西東三鬼

  これと好対照に、兜太は、

   霧の車窓を広島走せ過ぐ女声を挙げ

 と詠む。私もこの句を直接兜太の口から聞いたことがあるのだが、「女声」を「じょせい」と発音していた。この女性は当時広島駅頭に屯していた売春婦で、顔にケロイドがあった、と確か聞いたような記憶がある。つまり、兜太の俳句作品はどれも直球なのである。だから兜太はイロニーを知らない、と井口氏はいう。もちろん知らないわけはない。直球勝負が持ち味の兜太には合わないのである。

 

  造型は重信の方法が起点?

  これも目から鱗であった。高柳重信の『蕗子』の序文を富澤赤黄男が書いているが、そこに「かれ(重信)の詩の方法は確然と造型性のうえに置かれてある」など、「造型」という言葉が三度も出ているのだそうだ。つまり「〈造型〉とは赤黄男が読み取った重信の方法の核心なのだ」と言っている。これは、たしか兜太自身も認めていたようで、現代俳句協会のある講演会で「重信の影響もあって……」と語っていた記憶が、私にはある。

  ここで、面白い記述があった。

 ……伝統俳句に対抗するかぎりにおいて共闘する場面もあった兜太と重信は、やがて決定的に決裂してしまう。(略)いつでもどこでも〈保守〉は団結し〈前衛〉は分裂するのだ。〈保守〉は大衆という利益基盤を共有するが、大衆を拒絶する〈前衛〉は己が主義主張の純正性にこだわるしかないからである。(略)芸術派と社会派では、そもそも主体のあり方がまるで異なる。芸術派の主体は実生活を遮断した〈虚〉の主体だが、社会派は実生活の倫理性をそのまま引き継ぐ〈実〉の主体なのだ……

  井口氏は、兜太と草田男をも比較し、兜太と草田男の関係は、兜太と重信の関係よりも近いと述べている。この点も私には目から鱗である。

 ……「創る自分」を強調しても、金子兜太はやはり中村草田男と同じく充溢した「実」の倫理的主体なのである。そして、たとえ兜太が草田男の倫理の求心性に飽き足らなくとも、倫理性は常に社会的である。〈虚〉の主体性であることにおいて、高柳重信的前衛は、実は隠者文学の伝統から出現した俳句(俳諧)的主体の「正統」に属している。むしろ草田男や兜太の「実」の主体の方が「異端」である……

 

  「還相」到達

  該著の中で、私のもっとも惹かれる部分である。兜太の「還相」のきっかけは山頭火や一茶であったことは既に書いた。井口氏はこう解説する。

 ……後年の兜太は、一茶や山頭火といった、構成主義とはまったく反対の、即吟的で全人的な表現者に魅かれていくのである。そして、「難解派」だった兜太が山頭火や一茶に倣って表現の平明さを目指し始めるとき、彼の句が造型性を失って、いわば兜太というユニークな「人格」の流露のようになっていく……

  このあと日本は第三次産業従事者(いわゆるサーヴィス業)人口が第二次産業従事者の数を超え、都市はもはや工場労働者のものではなくなってくる。芸術・文学もライトバース化し、作者の「私性」が希薄化する。短歌も俵万智風になり、俳句も坪内稔展風が流行る。宇多喜代子は「戦後俳句は、はっきりとその活力を失った」といい、俳句は広告のキャッチコピーによく似た伝達性を獲得するようになるのである。兜太自身も自己批判を含めての前衛俳句総括を行い、七十年代転向者と同じく日常回帰を始めるのである。


  兜太は「野」の人

  かくして兜太の関心は、社会性や前衛を通り過ぎて「自然」へと移行して行く。井口氏はそういう兜太に「野」の人という称号を与えている。「野生」「在野」「粗野」「野趣」「野暮」「野人」「野良」の何れでも良いし、兜太の「太」と合わせて「野太い人」でも良い。そうして、晩年の作品としては、二つの物の出会いの句が多くなったことを指摘する。

   大頭の黒蟻西行の野糞

   人間に狐ぶつかる春の谷 

   おおかみに螢が一つ付いていた

 などである。これらの「遭遇句」には、かつての兜太なら腐心したであろう造型性への配慮は見られない。社会性俳句にも前衛俳句にも当てはまらない作品である。しいて言えばアミニズムの世界である。そして、意味の負荷からの自己解放がなされた作品である。

 

  皮肉な言い方をすれば、社会性も前衛も終えた兜太の作品は、伝統的な俳人がこれまで詠んできた膨大な数の作品と比較して、質の違いはあろうが、理念上の大きな差異はないと誤解されやしまいかと心配になる。私などは、どうしても、兜太の社会性や前衛を無視して、つまり俳句史上での彼の大きな業績を無視して、晩年の兜太だけを浮き彫りにする気持ちには、正直、なり切れないのである。

ただし、井口氏の次の記述には大いに賛同するものである。 

 ……そもそも金子兜太は俳句や俳壇という狭い枠を大胆に踏み越えた存在であり、閉じた世界での「洗練」など意に介さず、現実世界の荒々しさへと開かれた「野暮」の方を好んだ人だったのだ……

 

  繰り返しになるが、読んでいて興奮する好著に、久々に出会えた。該著を特集として取り上げ、紹介した「藍生」2021年5月号のお陰でもある。

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