島崎さんは「群青」と「山河」の作家。その第一句集。横澤放川の「モダニステイックな現代感覚とかすかな孤寥感とがこの作家の想像力の内部ではこをろこをろと渦巻いている」という言葉が帯にあり、
このわたこのこうたかたのひと日了ふ
の一句が添えられている。あとがきも俳歴も素っ気ないほど簡潔である。だから、外資系企業戦士だったこと以外、作者の属人情報はいっさい無い。それだけに、テキストのみから自由に人柄を想像しながら、この句集を楽しませて戴いた。2024年9月30日、ふらんす堂発行。
自選句と思しき10句は次の通り。
無憂樹に触れたる蝶のすでに遠し
走り根は花の真闇に西行忌
裏山に春月ゴドー待つごとく
被爆三世と告げてさらりと螢の夜
泉汲むいつかはうすれゆく少女
峰雲や騸馬は蒼き草を食み
向日葵の首へ銃口空涸るる
月満ちて鱗翅一枚石の上
梟鳴く夜の基督のふくらはぎ
詩に痩せて二・二六なほ寒昴
小生の共鳴句は次の通り。
009 無憂樹に触れたる蝶のすでに遠し(*)
010 薄氷を踏み父のこと父のこと
011 鳥帰るかつて円周率美しき
012 青空にすこし疲れていぬふぐり
020 左腕に抱かれたき日のシクラメン
023 春雷や鏡の中のふた心
026 すれ違ふジタンの香り春の雪
030 主なき鳥籠八十八夜寒
038 細口の銀の水差し夏館
042 消印はアルジェの切手夏の暮
047 前任者の金魚へ昼の餌をやる
053 梅雨の蝶上野の森を殯とす
065 誰の忌となくひややかに耳飾
070 手すさびに銀漢の縁繕はむ
084 何も見てをらぬ人形冬座敷
110 鬼灯を鳴らして情けかけらるる
115 スキャンダル好きの仔猫の良夜かな
121 またひとり風の薄をわたり来し
136 星の死の遅れてとどく枯木道
165 羊皮紙に置く春愁の頭文字
187 月あれば百合のかをりのうとましき
190 封蠟も薔薇もくれなゐ濃かりけり
作者の情感の豊かさ、見聞の広さを感じさせる作品が多い。知と情のバランスがいい。中からイチオシを挙げて鑑賞しよう。
026 すれ違ふジタンの香り春の雪
ジタンはフランス製の匂いのきつい煙草である。すれ違った男から薫った。「春の雪」の取り合わせが絶妙。喫煙していたむかしを思い出した。この人の作品には、アルジェ、羊皮紙、封蠟など、泰西のものや地名が出て来る。なお、アルジェはむかしフランスの植民地だったアルジェリアの首都。回教徒が多く、異国の匂いがする。その匂いがこの句集にも、かそけく残っている。
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