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澁谷道さんのこと



 澁谷道さんが亡くなられたことを、人づてに聞いた。懐かしく、残念であった。昨年暮れに亡くなられ、葬儀は1月7日だったとか。晩年は大阪から弟さんがおられる浦和に転居されて医療付きの施設に入っておられた。私も正木ゆう子さんのおすすめもあり、一度だけ家内とお見舞に行ったことがある。

 澁谷道さんについては、『俳人 澁谷道―その作品と人』を私家本として書肆アルスから出したことがある(平成二十五年七月)。道さんを取材するため、家内と一緒に大阪に二三度お邪魔したものだった。その都度、加田由美さんが同行してくれた。


 その私家本はもう在庫がなく、最後の一冊があるのみである。その書き出し部分と第一章だけを下記に転載致します。



  俳人澁谷道―その作品と人

                                栗林 浩


 現代俳句大賞(第十回、平成二十二年)、蛇笏賞(第四十六回、平成二十四年)をたて続けに受賞した澁谷道は、すらりと背が高く、物腰の柔らかい人である。現代俳句大賞受賞式に、彼女は車椅子で現れたから、背の高さは見たわけではないが、そう聞いていた。茨木和生氏が付き添っておられた。蛇笏賞の時は、体調が思わしくなく長弟の盛興氏が代わりに賞を受け取られた。本業は医師であり、大阪で永く内科・小児科を開業していた。

 俳句は、大阪女子高等医学専門学校に入って三年目に始めた。二十歳である。まもなく七十年に及ぶわけだが、これまでの句業をまとめ、平成二十三年十一月に『澁谷道俳句集成』(沖積舎)を上梓した。これが蛇笏賞の対象となったのである。

 彼女は現在、自宅療養中であるが、冬のある日、体調を伺った上で、取材する機会を得た。コサージュをあしらった黒いブラウス姿の彼女はとても八十六歳には見えなかった。花柄のベッドに腰かけながら、ゆっくりとした口調で話してくれた。たまたま来阪中であった盛興氏も同席され、淹れてくれたお茶が美味であった。伺ったことを所々にちりばめながら、澁谷道論を書いてみる。

構成としては、第一節に澁谷道の代表句を、第二節に彼女の来し方を、第三節では各句集を通覧し、最後に第四節として、澁谷道私論を掲げた。


一、澁谷道の代表句


 俳句作家澁谷道の多くの作品から人口に膾炙している句を掲げよう。


022 馬駈けて菜の花の黄を引伸ばす   第一句集『嬰』

 菜の花畑を駈けて行く馬。黄色の帯が馬の走る方向へ引かれて伸びてゆく。映像的・視覚的な句である。俳句を始めて二年目のものだが、師の平畑静塔をして、「あなたは俳句開眼しましたね」と言わしめた作品である。

師と言えば、道は静塔や橋閒石の指導を受けた。関西では、よく「俳句の芸」が言われるようだが、どのような指導を受け、その元でどう精進したかが重要な鍵となる。交流のあった俳人たちの影響も大きかったに違いない。もちろん、天与の才能も必要であり、猛者が犇めく関西俳壇にあって、流されずに、道らしさを形成して行くはしりとなった句である。

とまれ静塔は、この句から「速度の美しさ」を読み取り、それが第一句集に通底していると評した。


025 炎昼の馬に向いて梳る       第一句集『嬰』

 馬が続いた。馬の肌は強い陽射を受けて漆のように光っている。道は、そんな馬の光を目の当たりにしている。前句と違って、馬はじっと静止しているのだろう。髪を梳くという所作には、馬と道との心寄せがあり、胸が高鳴ってくる思いが感じられる。高野ムツオは、この句を読むたびに「高野聖」のクライマックス、月下の馬と妖女の場面を思い出す、と書いている(「現代俳句」平成二十二年五月号)。「炎昼」と「月下」の違いはあるが、描かれていない女性の肢体を想像させる。また、八田木枯も、

「山口誓子の〈炎天の遠き帆やわがこころの帆〉に刺激されて、西東三鬼も橋本多佳子も、誓子の膝下で情熱の炎を燃やした。木枯も、道も、そのひとりで、『炎昼』『炎天』の連作をいくつも書いたものだった」

と、同じ「現代俳句」に書いている。


073 人去れば藤のむらさき力抜く    第二句集『藤』

 見る人が居ると藤の花は力を籠めてそのむらさき色を輝かすのだが、誰もいなくなると、ふっと力が抜けたようになる、という感受。あたかも、人と対峙しているときの気の張り様に相応していて面白い心象である。医療という責任ある道の仕事に思いを致すと、そうかも知れないと思う。だが、そこまで作者に擦り寄らなくても、この句の味わいは深い。

「藤のむらさき」に特定したところが効いている。むらさきは道の好きな色なのだろう。


128 灰のように鼬のように桜騒★→さくらざい★ 第三句集『桜騒』

道が金子兜太の「海程」に入ってからの作品である。道によれば、桜の季節の気配を詠んだという。「南から北へ、国じゅうを覆うては吹き過ぎてゆき、風雨とともに姿を消す桜前線」である。それはまるで灰神楽のようでもあり、目にもとまらず走り過ぎる鼬のようでもあると思ったのだ。「桜騒」は道の造語だが、桜が風に騒ぎ、当然、花散る景が見えてくる。この詩語は季語としての厚みがある。この季語「桜騒」は、当初から広まっていた訳ではないようだ。のち、「海程」の最高位の「海原★→かいげん★集」に、澁谷道と名前が「シ」音で始まる縁で並んで載っていた塩野谷仁が、この季語に惹かれて、

  地球から水はこぼれず桜騒       塩野谷 仁

と詠んだこともあって、だんだん広く認知されて行ったようだ。とまれ、兜太が「諧謔豊かな心象風景に感心した」と書いている。

話は変わるが、「鼬」と言えば、筆者は、佐藤鬼房の

やませ来るいたちのやうにしなやかに  佐藤鬼房

を思い出す。鬼房のはむしろ新しく、平成の句であり、道のは昭和の句である。


144 冬最上あらあらしくも岐れずに      第三句集『桜騒』

 最上川は澁谷家のルーツに係わる。芭蕉が曾良と奥の細道を旅したとき、山形県新庄の澁谷甚兵衛にやっかいになったのだった。その史実が縁となって、新庄市教育委員会と道は頻繁に顕彰事業の打ち合わせに入る。父母や弟らの納骨のためにも、この地に赴いている。京都生まれながら、新庄は道の第二の故郷である。冬の故郷の川が一本筋を通すように流れているさまを、万感を籠めて「あらあらしくも岐れずに」と詠んだ。「岐れずに」に道の心がある。昭和五十二年のこと、夜行寝台で大阪を発ち、翌朝羽越本線酒田駅に着き、陸羽西線に乗換え新庄に向かう。車窓から、まもなく最上川に出会う。見るからに深そうな水嵩。荒々しいうねりは獣のような精悍さで、いつ見ても、道にとって畏敬の川の姿である。


238 雛箪笥あくやふくらみでる縮緬      第五句集『紫薇』

「雛箪笥」は雛壇に飾るミニチュア箪笥である。三段程度のごく小さな箪笥で、華やかな象嵌の装飾が施してあったりする。開けると中から縮緬の雛用の座布団か何か小物、あるいは衣装そのものが溢れ出てきた。「縮緬」の質感が見事に捉えられている。この句の感受と写生的な句柄は伝承派そのものである。道は伝統派には分類されていない作家だが、その作品は時にこうして系列を超えるのである。


299 胸倉という倉の冷たさ鉦叩        第六句集『素馨集』

328 死の時刻問われ桔梗の数を言いぬ     第七句集『紅一駄』

 この二句は若干味が違う。「鉦叩」とか「桔梗」という伝統的な季語が使われているが、「胸倉の冷たさ」とか、「死の時間」という如何にも俳句的でない措辞を用いたので、句柄が新鮮になっている。胸倉の句は昭和六十二年の作。草むらの闇からチン・チンと、規則的な優しく澄んだ鉦叩の音色。翅を磨り合わせるだけでどうしてあのような音が出るのか。道自身は鉦を叩かずに、医師としてひとの胸倉を叩くのを想ってみる。叩いても所詮そこは冷たい心の倉に過ぎない。

「死の時刻」の句は、道の弟が死去した時刻を訊かれたときのものである。この句について、正木ゆう子がこう書いている。

「道さんが弟さんを亡くされたときの一連の句の中に、〈328 死の時刻問われ桔梗の数を言いぬ〉がある。ところが私も兄の死の印象を、『桔梗にて七てふ数字思ひゐる』と詠んでいたのである」

ゆう子は、道が代表する俳句と連句の「紫薇」のメンバーである。人の死と桔梗とその数という三つの言葉の組み合わせに、道とゆう子との稀有な一致がありえたことが不思議でならない。


394 折鶴をひらけばいちまいの朧     第八句集『蕣帖』

 折鶴は、とき解いても元のまっさらな紙には戻らない。痕跡が折り目となって残る。しかしその折り目は、鶴であったという様相を示さない。それを「朧」と言った。言い得て妙である。延ばしても、どうしても折り目の残ってしまう色紙をじっと眺めて、「朧」と言えた手柄である。


443 三尊に広き四隅のさくら冷え     第九句集『鴇草紙』

 三尊は阿弥陀さま。道が四十五歳のとき伯母が脳卒中で倒れ、名古屋から引き取った。同時に先祖伝来の持仏阿弥陀三尊(全高一〇四センチ)木像をも連れ帰った。大阪はまだ桜冷えのころだった。美しい仏像であった。自家の仏像の句なのだが、納めるべき厨子がなかったのかも知れない。あるいは、どこかの寺院での嘱目句と受け取っても良い。仏像が馴染んでいない空間の広さが寒さを助長するようだ。


494 米袋ひらいて吹雪みせてあげる    第九句集『鴇草紙』

 俵屋宗達の「風神雷神」を思い起こす。風が飛び出してくるのだ。米袋からだから、白い風だろう。吹雪は納得できる。誰に見せてやるのだろう、などと詮索しない方が良い。「ほんと?」とちょっと訝りながら、道のこの句に乗れば良いのである。そうすれば、「ほんとうにそうかも知れない」と思えて、愉しい句となる。道の作品としては珍しく遊びのある句である。


524 花満つを暗★→くらがり★と呼ぶ峠かな 第十句集『蘡★→えび★』

537 蝮より蝮捕り器のぶきみなる      第十句集『蘡★→えび★』

「暗峠」は奈良街道の生駒山地の難所。桜が満開なのに、峠の名前はそのまま。俳諧味のある句。

「蝮」の句は、道の句の中では力を抜いた句の部類。「暗峠」の句を発句とすれば、この句は平句の良さか。捕まえる道具の方が蝮より不気味だという。その道具の詳細を知らない読者にも、そうかと思わせてくれる。筆者も「蝮捕り器」は見たことがない。「器」とあるから、先が二股になった刺股のようなものよりももっと高度な、しかも異様な道具なのだろう。

 

591 母在せり青蚊帳といふ低き空     未刊句集

多くの俳人がこの句を道の佳句として掲げている。「母」と「蚊帳」で、古さを感じさせるが、これぞノスタルジアの句。道の母は当然もういない。母を思い出すとき、母は不思議にいつも蚊帳の中の母だ。蚊帳独特の匂いが懐かしい。蚊帳の天井が低い空のようで、母が身近に感じられる。「低き空」が言い得て妙。

今井聖に次の句がある。

 やはらかき母にぶつかる蚊帳の中     今井 聖

両句の違いは、作者が男か女かの違いもあるが、臨場感というか、母との距離感の点で大きな差がある。道の句は、やや遠景的で情感を殺している。殺していながら、母の世界を切り取って表出し、読者に見せてくれている。


 道の佳句を並べた。読者はどれにもっとも感銘したであろうか。筆者は、


022 馬駈けて菜の花の黄を引伸ばす    第一句集『嬰』

073 人去れば藤のむらさき力抜く     第二句集『藤』

128 灰のように鼬のように桜騒      第三句集『桜騒』

144 冬最上あらあらしくも岐れずに    第三句集『桜騒』

394 折鶴をひらけばいちまいの朧     第八句集『蕣帖』

494 米袋ひらいて吹雪みせてあげる    第九句集『鴇草紙』

591 母在せり青蚊帳といふ低き空     未刊句集


を代表句として推したいのであるが、如何であろうか。


二、あるいてきた道


以下省略 ご興味のおありの方へは、続きのワード文章をお送りできると思います。ご連絡下さい。

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